終わりに。垂水ライダーハウスで過ごした日々|エピローグ

僕はしばらくの間、垂水のライダーハウスに滞在することにしました。
最初は留まる事は考えていませんでしたが、結果的にそうなったのです。
そういう風が吹いたのです。
垂水という町の空気がそうさせるのか、桜島の火山灰がそうさせるのか。

朝がカーテンの隙間から洩れ・・・
じきに幕を閉じる旅人の家は、いつもと何も変わらない静かな朝を迎えています。



旅人の話し声は壁に刻まれ、時間を記憶しているかのようです。

人間誰も、時間からは、時間だけからは逃れることはできない…
せめて旅の間だけ、僕が時間を支配してやるんだ…
とにかく時間を考えない、時間に追われない、時間に縛られないで過ごしてやろうと思いました。こんな贅沢なことはありません。でもそれが出来るのは僕には唯一、旅なのです。旅は現実であり、また現実ではないのです。



当てもなくブラブラと歩いては、小さな公衆浴場の温泉で火山灰を流し、漁港の食堂でカンパチに舌鼓を打ちます。
都会のどんな高級料亭の芸術的な料理の数々よりも、田舎の漁港の漁師飯が一番美味で贅沢であるように、田舎の爺さん婆さんが毎日通い詰める源泉かけ流しの共同浴場ほど、素晴らしく贅沢な温泉はないのです。
骨まで食べられるカンパチのアラ煮は、ほろほろと口の中で蕩け、しゃくしゃくとした骨の食感といい、こんなにうまい食いものはありません。

ただ、特別に垂水でしたことと言えばそれくらいで、あとは何をするでもなく堤防に腰掛けて桜島をぼーーっと眺めたり、横になったりしていました。
こんな風に垂水では過ごしていました。
ある時は、津のみずぼうずさんとのご縁で鹿児島のいわくらさんとお会いすることができました。垂水からは鹿児島市の鴨池港へフェリーが出ているので、気軽に対岸の鹿児島市街へと渡ることが出来ます。

何度か鹿児島側と大隅半島を行き来しましたが、ぼくは必ず甲板で風を受けながら桜島を見ていました。
船が進むにつれて、桜島の表情は全く変わってくるのです。
その変わっていく様をぼんやりと眺めるのが好きでした。

錦江湾の東と西の風景はそれはそれは対極的で、船は路面電車走る大都会と湯の香かおる田舎町を結んでいます。

いわくらさんには、薩摩の気質が染みついたような芋焼酎とこの上なく上品な味わいの黒豚を堪能させてもらいました。インターネットの世界ではずっとお世話になっていた方ですが、お会いするのはこの時が初めて。2時間や3時間じゃ到底話尽くせなく、もっと色んなお話を伺いたいのですが、楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去ってしまいます。
ぼくは旅をしていて得たものの中で、人との縁ほど僕の財産となったものはないように思います。
部屋で本を読んでいるだけでは、この瞬間は存在しなかったのです。
家を飛び出したことで、いろんなことがぐるぐるとかき回されるように、僕の中にも外にも変化が起きて。小さな奇跡の積み重ねで今この瞬間があり、今、自分がここにいることを実感しました。
鹿児島から垂水へ帰りの船の中で、僕は自転車旅を始めたばかりのことを思い出していました。
最初から自転車で旅をしようなんて考えてなどいなかったのです。小さな小さな奇跡の積み重ねで、結果的に自転車旅をすることになったのです。今考えると、それはずっと前から決まっていたことのようにも思いますが。そして、その瞬間瞬間は僕に関わってくれた全ての人のお蔭で存在していたのでした。
僕は帰ることにしました。

確実に僕は「終わり」というものを感じました。
でも、数年後に思い返してみた僕は、そこに「始まり」を感じるのかもしれません。
終
鹿児島中央駅で線を結ぶ|DAY7
2014.2.16 垂水ー鹿児島

鹿児島中央駅・・・
6年前、ぼくはこの駅から西日本縦断に挑戦し、そしてその4年後にこの駅から日本縦断を始めました。
ぼくにとっては西日本の旅の起点とも言えるこの駅は、僕の中では特別な駅であり、今回の旅の終わりにふさわしいと思われました。
と、同時に
6年間走り続けてきた旅、あるいは「日本中を走り尽くす」という当初描いていた僕の目標のようなものに、一度終止符を打つ場所としてふさわしい気がしたのです。

昨晩は…
幾つかの奇跡と強い縁によって、10年間の歴史に幕を閉じる間近だったライダーハウスたるみずに導かれるようにして辿り着きました。ぼくの大切な人の思い出の地であり、訪れてみたかったライダーハウス。もうすでに閉所したものとばかり思っていましたが、奇跡的に3月2日まで開所されていることを知ったのでした。あと2週間で閉鎖というタイミングだったのです。
そしてすっかり記憶から消え去っていましたが…
垂水のライダーハウスのオーナーとは、日本縦断の時に阿久根のライダーハウスでお会いして旅談義を交わしたことがあったのでした。阿久根のあの日は、何かと不思議な出来事が多く…ぼくの人生をも大きく変えた日でした。(詳しいお話は、ぼくとお会いしたときにでも)
京都人のオーナーにとって、垂水へ移住してライダーハウスを開いた10年間はそれはそれは掛け替えのない素晴らしい時間であったそうで、ライダーハウスを辞めて今度は自分が旅に出ることを決意はしたものの、次のステップに進むことへの不安と、辞めたことを後悔するんじゃないかという不安に押しつぶされそうになりながら、残りの一日一日を過ごしているようでした。
垂水のオーナーはライダーハウスを辞めて、ぼくは6年間の旅が今日で終わる…
朝起きてからも何か気力がどこかに行ってしまったようで、ぼーーっとしていました。

昨日の夕陽を、桜島を、開聞岳を見た時点で、なんだか僕の旅は終わってしまった気がして、ある意味「惰性」ともいえるような走り方で、桜島に吸い寄せられるように走っていきました。



桜島には人が住んでいて学校も病院もあることには驚きました。島の東側には溶岩地帯が広がっていますが、西に進むにつれて町がチラホラ見えてきたりします。それと、大正時代の噴火で桜島は大隅半島と繋がってしまったので、陸続きの島になっていることも行ってみて初めて知ることとなりました。
なかなか行ってみないと分からないものです。
旅をしていると「行ってみないと分からないものだなぁ」というのをつくづくと感じます。
「あそこはこういう所だったよ」とか「さっき行って来たらこうだった」という話よりも「今、ぼくはここにいる」ことによって得られる事の方が何倍も新鮮で面白くて楽しくて…、その新鮮さというのは何物にも変えられない価値のあるものなのです。少なくとも、僕にとっては。

桜島の物産館で昭和臭ただよう「カラーペナント」を手に入れ、

フェリー乗り場近くの生協で弁当を買って、海を見ながら昼ご飯を食べました。
海の向こう側には鹿児島の街が見えています。

自転車に乗ってフェリーに乗り込む場合のフェリー乗り場の入り口がどこにあるのか少し迷いましたが、何のことは無く、自動車が入る料金所に自転車で乗り込めばいいのでした。
250円、15分の船旅。
桜島から鹿児島市街へと渡ります。
鹿児島市街の大きな通りと、フェリー乗り場、鹿児島中央駅の場所は、だいたい頭に入っているので…

なんとなくこっちだろうという道を走っていけば、見覚えのある道に出ます。
あとはずっと真っ直ぐ走ってさえいれば駅には着くのです。
6年前、桜島を見に行くために走った道のりを、逆方向へと進んでいきます。
あの時はこれから始まる「旅というもの」に心躍らせ、高揚し、期待に胸を膨らませていました。
そして今は、特に感動するでもなく、かといって悲しい感情でもなく、「もうこれでいいかな」といった感じの満足感というか、自分でも不思議なくらい落ち着いた心持ちになっています。

見覚えのある観覧車が見えてきました。

14:40 鹿児島中央駅に到着。
終わったなあと思いました。満足感に満たされて初めて、「これで旅を終えてもいいかな」とも思いました。かつて「もうこれ以上はいいや」って思ったことはまず無かったように思います。自分の中の日本一周でポカンと開いていた九州の東側を走ることが出来て、なにか突っかかっていたものが不意に取れたような感じがしました。
僕の旅に関わってくれた全ての人に感謝したい気持ちで一杯でした。
…ここからまだ旅を続けて熊本や長崎、佐賀や福岡を走りぬけることも考えていましたが、ここが潮時のような気もしました。
それと絶対にもう二度と来ることが出来ない「ライダーハウスたるみず」という場所にもう少し滞在して、垂水という町をもっと見てみたい気もしていました。
僕はこれ以上は進まないことを決意し、鴨池港から今朝、鹿児島へと発った垂水へとフェリーを使って戻ることにしました。
昨日初めて来たはずの場所なのに、フェリーの甲板で冷たい風に吹かれていると、なんだか自分の家に帰るようなそんな気持ちでした。垂水に帰ります。

鹿児島中央駅・・・
6年前、ぼくはこの駅から西日本縦断に挑戦し、そしてその4年後にこの駅から日本縦断を始めました。
ぼくにとっては西日本の旅の起点とも言えるこの駅は、僕の中では特別な駅であり、今回の旅の終わりにふさわしいと思われました。
と、同時に
6年間走り続けてきた旅、あるいは「日本中を走り尽くす」という当初描いていた僕の目標のようなものに、一度終止符を打つ場所としてふさわしい気がしたのです。

昨晩は…
幾つかの奇跡と強い縁によって、10年間の歴史に幕を閉じる間近だったライダーハウスたるみずに導かれるようにして辿り着きました。ぼくの大切な人の思い出の地であり、訪れてみたかったライダーハウス。もうすでに閉所したものとばかり思っていましたが、奇跡的に3月2日まで開所されていることを知ったのでした。あと2週間で閉鎖というタイミングだったのです。
そしてすっかり記憶から消え去っていましたが…
垂水のライダーハウスのオーナーとは、日本縦断の時に阿久根のライダーハウスでお会いして旅談義を交わしたことがあったのでした。阿久根のあの日は、何かと不思議な出来事が多く…ぼくの人生をも大きく変えた日でした。(詳しいお話は、ぼくとお会いしたときにでも)
京都人のオーナーにとって、垂水へ移住してライダーハウスを開いた10年間はそれはそれは掛け替えのない素晴らしい時間であったそうで、ライダーハウスを辞めて今度は自分が旅に出ることを決意はしたものの、次のステップに進むことへの不安と、辞めたことを後悔するんじゃないかという不安に押しつぶされそうになりながら、残りの一日一日を過ごしているようでした。
垂水のオーナーはライダーハウスを辞めて、ぼくは6年間の旅が今日で終わる…
朝起きてからも何か気力がどこかに行ってしまったようで、ぼーーっとしていました。

昨日の夕陽を、桜島を、開聞岳を見た時点で、なんだか僕の旅は終わってしまった気がして、ある意味「惰性」ともいえるような走り方で、桜島に吸い寄せられるように走っていきました。



桜島には人が住んでいて学校も病院もあることには驚きました。島の東側には溶岩地帯が広がっていますが、西に進むにつれて町がチラホラ見えてきたりします。それと、大正時代の噴火で桜島は大隅半島と繋がってしまったので、陸続きの島になっていることも行ってみて初めて知ることとなりました。
なかなか行ってみないと分からないものです。
旅をしていると「行ってみないと分からないものだなぁ」というのをつくづくと感じます。
「あそこはこういう所だったよ」とか「さっき行って来たらこうだった」という話よりも「今、ぼくはここにいる」ことによって得られる事の方が何倍も新鮮で面白くて楽しくて…、その新鮮さというのは何物にも変えられない価値のあるものなのです。少なくとも、僕にとっては。

桜島の物産館で昭和臭ただよう「カラーペナント」を手に入れ、

フェリー乗り場近くの生協で弁当を買って、海を見ながら昼ご飯を食べました。
海の向こう側には鹿児島の街が見えています。

自転車に乗ってフェリーに乗り込む場合のフェリー乗り場の入り口がどこにあるのか少し迷いましたが、何のことは無く、自動車が入る料金所に自転車で乗り込めばいいのでした。
250円、15分の船旅。
桜島から鹿児島市街へと渡ります。
鹿児島市街の大きな通りと、フェリー乗り場、鹿児島中央駅の場所は、だいたい頭に入っているので…

なんとなくこっちだろうという道を走っていけば、見覚えのある道に出ます。
あとはずっと真っ直ぐ走ってさえいれば駅には着くのです。
6年前、桜島を見に行くために走った道のりを、逆方向へと進んでいきます。
あの時はこれから始まる「旅というもの」に心躍らせ、高揚し、期待に胸を膨らませていました。
そして今は、特に感動するでもなく、かといって悲しい感情でもなく、「もうこれでいいかな」といった感じの満足感というか、自分でも不思議なくらい落ち着いた心持ちになっています。

見覚えのある観覧車が見えてきました。

14:40 鹿児島中央駅に到着。
終わったなあと思いました。満足感に満たされて初めて、「これで旅を終えてもいいかな」とも思いました。かつて「もうこれ以上はいいや」って思ったことはまず無かったように思います。自分の中の日本一周でポカンと開いていた九州の東側を走ることが出来て、なにか突っかかっていたものが不意に取れたような感じがしました。
僕の旅に関わってくれた全ての人に感謝したい気持ちで一杯でした。
…ここからまだ旅を続けて熊本や長崎、佐賀や福岡を走りぬけることも考えていましたが、ここが潮時のような気もしました。
それと絶対にもう二度と来ることが出来ない「ライダーハウスたるみず」という場所にもう少し滞在して、垂水という町をもっと見てみたい気もしていました。
僕はこれ以上は進まないことを決意し、鴨池港から今朝、鹿児島へと発った垂水へとフェリーを使って戻ることにしました。
昨日初めて来たはずの場所なのに、フェリーの甲板で冷たい風に吹かれていると、なんだか自分の家に帰るようなそんな気持ちでした。垂水に帰ります。
桜島が見えた、開聞岳が見えた|DAY6
2014.2.15 日南ー垂水

小倉を出発した東九州旅、その6日目です。
ここまでの記事はこちら↓
静岡から北九州へ輪行、dipへ集合|プロローグ
初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1
どこか寂しい佐賀関~別府延岡激走150キロ|DAY2
クルスの海…願いが叶うという宮崎の十字海|DAY3
荒れ模様の日南フェニックスロードは鬼の洗濯機|DAY4
旅は飫肥という名の素敵な城下町にて|DAY5

飫肥でのオフ日を経て、疲労はだいぶ回復。なにより天気予報がお日様マークを表していることはなによりの活力剤となっています。左ひざの痛みはちょっと気になりますが・・・。気が付いたら僕の日本一周旅のゴールでもある鹿児島市まであと少しの所まで来ています。九州もだいぶ南の方まで来たようです。
これから走るのは宮崎でこーじさんに教えていただいた日南海岸ハイライトの国道448号線!!
素晴らしい景色が待ち構えているのは間違いなしなわけです。とにかくたくさん走りたい一心で、陽が昇る前のまだまだ暗い中を出発。ライダーハウスたのもしのご主人に「行ってきます」の挨拶が出来なかったのが心残りではありますが・・・。

夜が明ける・・・。
南郷町までの国道220号は、このあたりの道では多少交通量が多かったものの、国道448号線を都井岬方面に曲がった途端に交通量が激減しました。宮崎最南端の都井岬に寄らない限り、こちらの遠回りルートを通ることはなかなか無いのでしょう。サイクリングには絶好の道と言えるかもしれません。

少しアップダウンが続きます。

まだ朝早いため開店前である道の駅なんごうを少し行った辺りの景色は素晴らしく、風にそよぐヤシの木、朝靄を上げる穏やかな海、浮かぶ島々、奇岩、青空、すべてが調和して美しく、それは言葉になりませんでした。

こんなにも気持ちの良いサイクリングがあるでしょうか・・・。

誰もいない石波海岸の砂浜には、少し高い波が打ち寄せ、その波音はまるで心地よい音楽を聴いているかのようです。

国道448号。この辺りの、少し洗練されていなくほとんど車の来ない道路や、沿線のポツポツとあるぐらいの家々の風景、そして細く長く空に向かって伸びるヤシの木の風景は、僕が日本の南の方にどんどん近づいていることを知らせているようです。


日向灘を横目に気持ちの良い道を昇ったり下りたり。
ほどよい起伏がサイクリングにアクセントを与えます。

高い所から見下ろす日向灘は、あまりに広大で、広大過ぎることでだんだんに景色が平面になってきて、逆にその広さが分からなくなってしまいます。一枚の壁紙を見ているかのような感覚です。

野生馬の生息するという都井岬を目指します。
漫画のサイクル野郎にも登場する岬です。
今回の旅で是非行ってみたい場所の一つでした。サイクル野郎を読んで、最後にこの東九州の旅を決意したと言っても過言ではありません。この漫画を出逢い、そして読めたことは、僕に何とか時間を創りだして自転車旅に出る気力を呼び戻してくれたのでした。

宮之浦の海はなかなかの荒波。
ここから都井岬までは、上り坂が続きます。登りになると、どうも左ひざが痛み出し、自転車を押して登ったりしながらだましだまし登っていきます。痛いからと言って諦めるわけにもいきませんし、とにかく前に進むしかないのです。

ようやくのことで、都井岬の入り口、有名な「駒留の門」に到着しました。野生馬が逃げないように管理している門ですね。
この駒留の門、サイクル野郎でも出てきた建物と全く同じ建物でした。当時から建物は変わっていないのですね。それとサイクル野郎に登場する日本各地の風景が、かなり忠実に描かれていたことにも驚きました。
駒留のおばちゃんに管理料を払おうとすると、なんと自転車は無料でいいとのこと!!そしておばちゃんはブログをやっているらしく、写真を撮らせてほしいとのこと。
都井岬の野生馬をみにこんね~^^ 駒止めおばさんの奮闘記
↑後日、ブログに訪問させて頂いたらしっかり載せてくれていました(*^^*)
都井岬への道を進むと、そこらじゅうに「馬糞」が落ちています。
いつ草むらや木の陰から馬が飛び出してくるかも分からない妙な緊張感がありました。
そうでした・・・ぼくは動物が苦手なのでした(´゚д゚`)

わ!!!御崎馬が突如出現!!

近くに来るとなかなかの迫力。
草を食む音と、馬の鼻息が聞こえてきます。辺りは本当に静かなのです。ほかに観光客の姿は皆無ですし。こんな状況で馬に襲われたら、助けを呼んでも誰も来そうにありません・・・。緊張。

いつでも逃げれる体勢で、逃げれそうな距離感を保ちつつ、写真を撮影・・・。
都井岬はちょっと前までホテルなどもたくさんあった観光地のようで、当時のホテルは全て廃墟と化しています。そこを闊歩している馬とその廃墟ホテルの背景を見ていると、まるで馬の惑星に降りてしまったような妙な気持ちになってきました。まるで、人間が誰もいなくなった後の世界を見ているような気さえしました。

小松ヶ丘広場の展望台で記念写真を撮り、都井岬を後にしました。
もう充分に日南海岸には満足したので、あとはとにかく鹿児島市の近くまで走り抜けることにしましょう。

串間の町。久々に町に戻ってきた感覚があります。

町を抜けるとまた美しい海岸沿いを進みます。ダグリ岬近くの白い砂浜が印象的でした。

志布志を通り抜け、

大崎町へ。
ここから海を離れて内陸方向に進み、大隅半島を横断するルートを取ります。

いくつかの盆地状の田園風景の中を進む直線的な道路を走り抜けます。なかなか足が重く、しかも左足の痛みは悪化。上り坂だけでなく、平地を走っていてもなかなかの痛みです。右足をなんとか使いながらペダルを回していきます。走っては地図を確認し、思ったよりも全然に進んでいないことに落胆しながらもそれを繰り返して進んでいきます。

高隅山を見ながら、西へ西へと進んでいきます。国道220号は鹿屋の市街地を通らずに迂回しており、

とちゅうの鹿屋大橋からは鹿屋の町が一望することが出来ました。

トンネルを抜けると新しくバイパスが出来ていたので、そちらを通ることにしました。
地図によるともう錦江湾のすぐ近くまで来ているはずです。もうすぐ日が落ちる時間帯・・・影が長く延びてきました。
そして次の瞬間・・・。

桜島が見えた・・・・・・

開聞岳が見えた・・・・・・
この辺りから見えるとは思っていなかったので、とても驚いたと同時に、「来たなぁ」と思いました。小倉からずいぶん走って宮崎も回ってここまで走ってきたなぁという感覚。その距離感が両脚に蓄積しているのです。
そして、
これで終わりだなぁ・・・
とも思いました。

陽が山際へと落ちて、今日という日の終わりが近いことを告げます。
青かった空が、海が、濃い橙色一色に染められていきます。
急激に僕の旅も終わりが近づいてきた感じがしました。

小倉を出発した東九州旅、その6日目です。
ここまでの記事はこちら↓
静岡から北九州へ輪行、dipへ集合|プロローグ
初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1
どこか寂しい佐賀関~別府延岡激走150キロ|DAY2
クルスの海…願いが叶うという宮崎の十字海|DAY3
荒れ模様の日南フェニックスロードは鬼の洗濯機|DAY4
旅は飫肥という名の素敵な城下町にて|DAY5

飫肥でのオフ日を経て、疲労はだいぶ回復。なにより天気予報がお日様マークを表していることはなによりの活力剤となっています。左ひざの痛みはちょっと気になりますが・・・。気が付いたら僕の日本一周旅のゴールでもある鹿児島市まであと少しの所まで来ています。九州もだいぶ南の方まで来たようです。
これから走るのは宮崎でこーじさんに教えていただいた日南海岸ハイライトの国道448号線!!
素晴らしい景色が待ち構えているのは間違いなしなわけです。とにかくたくさん走りたい一心で、陽が昇る前のまだまだ暗い中を出発。ライダーハウスたのもしのご主人に「行ってきます」の挨拶が出来なかったのが心残りではありますが・・・。

夜が明ける・・・。
南郷町までの国道220号は、このあたりの道では多少交通量が多かったものの、国道448号線を都井岬方面に曲がった途端に交通量が激減しました。宮崎最南端の都井岬に寄らない限り、こちらの遠回りルートを通ることはなかなか無いのでしょう。サイクリングには絶好の道と言えるかもしれません。

少しアップダウンが続きます。

まだ朝早いため開店前である道の駅なんごうを少し行った辺りの景色は素晴らしく、風にそよぐヤシの木、朝靄を上げる穏やかな海、浮かぶ島々、奇岩、青空、すべてが調和して美しく、それは言葉になりませんでした。

こんなにも気持ちの良いサイクリングがあるでしょうか・・・。

誰もいない石波海岸の砂浜には、少し高い波が打ち寄せ、その波音はまるで心地よい音楽を聴いているかのようです。

国道448号。この辺りの、少し洗練されていなくほとんど車の来ない道路や、沿線のポツポツとあるぐらいの家々の風景、そして細く長く空に向かって伸びるヤシの木の風景は、僕が日本の南の方にどんどん近づいていることを知らせているようです。


日向灘を横目に気持ちの良い道を昇ったり下りたり。
ほどよい起伏がサイクリングにアクセントを与えます。

高い所から見下ろす日向灘は、あまりに広大で、広大過ぎることでだんだんに景色が平面になってきて、逆にその広さが分からなくなってしまいます。一枚の壁紙を見ているかのような感覚です。

野生馬の生息するという都井岬を目指します。
漫画のサイクル野郎にも登場する岬です。
今回の旅で是非行ってみたい場所の一つでした。サイクル野郎を読んで、最後にこの東九州の旅を決意したと言っても過言ではありません。この漫画を出逢い、そして読めたことは、僕に何とか時間を創りだして自転車旅に出る気力を呼び戻してくれたのでした。

宮之浦の海はなかなかの荒波。
ここから都井岬までは、上り坂が続きます。登りになると、どうも左ひざが痛み出し、自転車を押して登ったりしながらだましだまし登っていきます。痛いからと言って諦めるわけにもいきませんし、とにかく前に進むしかないのです。

ようやくのことで、都井岬の入り口、有名な「駒留の門」に到着しました。野生馬が逃げないように管理している門ですね。
この駒留の門、サイクル野郎でも出てきた建物と全く同じ建物でした。当時から建物は変わっていないのですね。それとサイクル野郎に登場する日本各地の風景が、かなり忠実に描かれていたことにも驚きました。
駒留のおばちゃんに管理料を払おうとすると、なんと自転車は無料でいいとのこと!!そしておばちゃんはブログをやっているらしく、写真を撮らせてほしいとのこと。
都井岬の野生馬をみにこんね~^^ 駒止めおばさんの奮闘記
↑後日、ブログに訪問させて頂いたらしっかり載せてくれていました(*^^*)
都井岬への道を進むと、そこらじゅうに「馬糞」が落ちています。
いつ草むらや木の陰から馬が飛び出してくるかも分からない妙な緊張感がありました。
そうでした・・・ぼくは動物が苦手なのでした(´゚д゚`)

わ!!!御崎馬が突如出現!!

近くに来るとなかなかの迫力。
草を食む音と、馬の鼻息が聞こえてきます。辺りは本当に静かなのです。ほかに観光客の姿は皆無ですし。こんな状況で馬に襲われたら、助けを呼んでも誰も来そうにありません・・・。緊張。

いつでも逃げれる体勢で、逃げれそうな距離感を保ちつつ、写真を撮影・・・。
都井岬はちょっと前までホテルなどもたくさんあった観光地のようで、当時のホテルは全て廃墟と化しています。そこを闊歩している馬とその廃墟ホテルの背景を見ていると、まるで馬の惑星に降りてしまったような妙な気持ちになってきました。まるで、人間が誰もいなくなった後の世界を見ているような気さえしました。

小松ヶ丘広場の展望台で記念写真を撮り、都井岬を後にしました。
もう充分に日南海岸には満足したので、あとはとにかく鹿児島市の近くまで走り抜けることにしましょう。

串間の町。久々に町に戻ってきた感覚があります。

町を抜けるとまた美しい海岸沿いを進みます。ダグリ岬近くの白い砂浜が印象的でした。

志布志を通り抜け、

大崎町へ。
ここから海を離れて内陸方向に進み、大隅半島を横断するルートを取ります。

いくつかの盆地状の田園風景の中を進む直線的な道路を走り抜けます。なかなか足が重く、しかも左足の痛みは悪化。上り坂だけでなく、平地を走っていてもなかなかの痛みです。右足をなんとか使いながらペダルを回していきます。走っては地図を確認し、思ったよりも全然に進んでいないことに落胆しながらもそれを繰り返して進んでいきます。

高隅山を見ながら、西へ西へと進んでいきます。国道220号は鹿屋の市街地を通らずに迂回しており、

とちゅうの鹿屋大橋からは鹿屋の町が一望することが出来ました。

トンネルを抜けると新しくバイパスが出来ていたので、そちらを通ることにしました。
地図によるともう錦江湾のすぐ近くまで来ているはずです。もうすぐ日が落ちる時間帯・・・影が長く延びてきました。
そして次の瞬間・・・。

桜島が見えた・・・・・・

開聞岳が見えた・・・・・・
この辺りから見えるとは思っていなかったので、とても驚いたと同時に、「来たなぁ」と思いました。小倉からずいぶん走って宮崎も回ってここまで走ってきたなぁという感覚。その距離感が両脚に蓄積しているのです。
そして、
これで終わりだなぁ・・・
とも思いました。

陽が山際へと落ちて、今日という日の終わりが近いことを告げます。
青かった空が、海が、濃い橙色一色に染められていきます。
急激に僕の旅も終わりが近づいてきた感じがしました。
旅は飫肥という名の素敵な城下町にて|DAY5
2014.2.14 日南ー飫肥

小倉を出発した東九州旅、その5日目です。
ここまでの記事はこちら↓
静岡から北九州へ輪行、dipへ集合|プロローグ
初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1
どこか寂しい佐賀関~別府延岡激走150キロ|DAY2
クルスの海…願いが叶うという宮崎の十字海|DAY3
荒れ模様の日南フェニックスロードは鬼の洗濯機|DAY4

一日雨予報ということもあり、この旅初めてのオフ日を取り、もう少し日南市を見てみることにしました。
宿泊していたライダーハウスのある油津から、数キロ北へと向かった場所に「飫肥(おび)」という城下町があるそうである。これは手持ちの地図でも確認済みで、少し気にはなっていたものの、飲み屋の大将に飫肥という街について聞いてから突如興味が沸いてきて、雨の様子を見て足を運ぶことにした次第です。
大将の話によると、江戸時代の人の背の高さが低かったことが実感できる屋敷が沢山あるとか。
小村寿太郎の出身地でもあって、城下町は上品な気風があったらしく昔は「嫁は飫肥からもらえ」と言われたとか(笑)
お昼頃、雨が上がった隙に荷物無しのランドナーでライダーハウスを飛び出し、油津駅前の直ちゃんラーメンで豚骨ラーメンとチャーハンを食べてから、鈴木自転車店でチェーンに油を注してもらってから飫肥へと向かいました。
飫肥駅で観光パンフレットを入手し、いざ飫肥散策です。

日南市の市街地を抜けると、両側に江戸時代調の建物やお店の並ぶストリートにでました。
飫肥の町ですな。
まず歴史的建造物のうち一番手前にあった「旧高橋源次郎家」へと向かい、入ってみることにした。

旧高橋源次郎邸

600円(学生は450円)で6ヶ所の屋敷や施設を見学できるチケットが売られていたので、これを買って散策することにしました。

旧山本猪平邸


ちょうど雛人形の展示をしていました。

やはり小村寿太郎はここの有名人らしいですな。

飫肥藩主伊東家の屋敷であるという…

豫章館
そして、パンフレットやガイドブックでは飫肥というと必ず出てくるこの城前の…

飫肥城大手門
立派な佇まいです。大手門をくぐり、苔のむした石垣の間を歩いていきます。ほかに観光客の姿はほとんど見ず、静かでちょっと緊張感のある空気が漂っていました。



本丸には立派な飫肥杉が整然と立ち上がっており、他の古城の本丸にはなかなか無い特異な風景が広がっていました。苔むした風景は、雨上がりのじめっとした雰囲気の中で見るのが一番素敵であると思われます。
しばらくの間、この天に一直線に延びた飫肥杉に囲まれながら
この上なく美味い空気を堪能していました。
共通チケットで歩き回った各施設のスタッフさんとても親切に案内して下さり、雨が再度降り出して、軒先で雨宿りしていた時などは、「寒いでしょうからどうぞ温かい中で雨宿りしてください」と声をかけていただきました。ところどころで飫肥の方々のおもてなしの心みたいなものを感じ、それは素敵な町並みをもっと素敵なものに見せてくれたようです。こじんまりとした場所にぎゅっと歴史が詰まっているようなそんな町で、ぼくはとても気に入りました。
雨のおかげで、日南に留まることになり、本来来れなかったはずの飫肥という素敵な町に導かれたようです。
あながち雨も悪くない・・・かな。

この後も歴史資料館や武家屋敷通りなどなど町中を散策してから、飫肥の町を後にしました。

小倉を出発した東九州旅、その5日目です。
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初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1
どこか寂しい佐賀関~別府延岡激走150キロ|DAY2
クルスの海…願いが叶うという宮崎の十字海|DAY3
荒れ模様の日南フェニックスロードは鬼の洗濯機|DAY4

一日雨予報ということもあり、この旅初めてのオフ日を取り、もう少し日南市を見てみることにしました。
宿泊していたライダーハウスのある油津から、数キロ北へと向かった場所に「飫肥(おび)」という城下町があるそうである。これは手持ちの地図でも確認済みで、少し気にはなっていたものの、飲み屋の大将に飫肥という街について聞いてから突如興味が沸いてきて、雨の様子を見て足を運ぶことにした次第です。
大将の話によると、江戸時代の人の背の高さが低かったことが実感できる屋敷が沢山あるとか。
小村寿太郎の出身地でもあって、城下町は上品な気風があったらしく昔は「嫁は飫肥からもらえ」と言われたとか(笑)
お昼頃、雨が上がった隙に荷物無しのランドナーでライダーハウスを飛び出し、油津駅前の直ちゃんラーメンで豚骨ラーメンとチャーハンを食べてから、鈴木自転車店でチェーンに油を注してもらってから飫肥へと向かいました。
飫肥駅で観光パンフレットを入手し、いざ飫肥散策です。

日南市の市街地を抜けると、両側に江戸時代調の建物やお店の並ぶストリートにでました。
飫肥の町ですな。
まず歴史的建造物のうち一番手前にあった「旧高橋源次郎家」へと向かい、入ってみることにした。

旧高橋源次郎邸

600円(学生は450円)で6ヶ所の屋敷や施設を見学できるチケットが売られていたので、これを買って散策することにしました。

旧山本猪平邸


ちょうど雛人形の展示をしていました。

やはり小村寿太郎はここの有名人らしいですな。

飫肥藩主伊東家の屋敷であるという…

豫章館
そして、パンフレットやガイドブックでは飫肥というと必ず出てくるこの城前の…

飫肥城大手門
立派な佇まいです。大手門をくぐり、苔のむした石垣の間を歩いていきます。ほかに観光客の姿はほとんど見ず、静かでちょっと緊張感のある空気が漂っていました。



本丸には立派な飫肥杉が整然と立ち上がっており、他の古城の本丸にはなかなか無い特異な風景が広がっていました。苔むした風景は、雨上がりのじめっとした雰囲気の中で見るのが一番素敵であると思われます。
しばらくの間、この天に一直線に延びた飫肥杉に囲まれながら
この上なく美味い空気を堪能していました。
共通チケットで歩き回った各施設のスタッフさんとても親切に案内して下さり、雨が再度降り出して、軒先で雨宿りしていた時などは、「寒いでしょうからどうぞ温かい中で雨宿りしてください」と声をかけていただきました。ところどころで飫肥の方々のおもてなしの心みたいなものを感じ、それは素敵な町並みをもっと素敵なものに見せてくれたようです。こじんまりとした場所にぎゅっと歴史が詰まっているようなそんな町で、ぼくはとても気に入りました。
雨のおかげで、日南に留まることになり、本来来れなかったはずの飫肥という素敵な町に導かれたようです。
あながち雨も悪くない・・・かな。

この後も歴史資料館や武家屋敷通りなどなど町中を散策してから、飫肥の町を後にしました。
「おかめ亭」油津駅前の名居酒屋で宮崎の味を|番外編
地獄のような鬼の洗濯機の中でめちゃくちゃにされてなんとか日南市に辿り着いた日。
夜は助けてもらったライダーハウスたのもしさんに教えていただいた居酒屋さんへ。
もう暗くなった油津の町なかを傘をさしながら歩いてみて、油津の駅前、赤い灯篭が目印の居酒屋「おかめ亭」さんへ。

ちょうど祝い事のできた日でもあったので、奮発して宮崎の郷土料理を堪能させてもらいましょう。
もうそれは檀一雄の名著「美味放浪記」の檀さんになった気分です。
おかめ亭は民芸居酒屋の和風な佇まいで、ぼくはカウンター席に座りました。白い髭で紺色作務衣の大将がカウンターの前で宮崎の郷土料理や新鮮な魚などを料理してくれます。

まずはアジの刺身を。
九州特有の甘い刺身醤油で、このプリプリのアジがたまりません。宮崎は魚の美味さも抜群なんですな。

そして続いて地鶏のたたきを。
ぼくは生の鶏肉、初体験です。どんな味わいなのかワクワクしながら箸を伸ばします。ショウガやニンニク、ネギの薬味と一緒にこちらも九州の甘い醤油でいただきます。鶏肉独特の歯ごたえが楽しく、鳥の新鮮さが際立ちます。また薬味と醤油と鶏の旨みがそれはそれは素晴らしくうまいので、熊本の馬刺しにせよ、宮崎の鳥刺しにせよ、なにせ地元ではまずお目にかかることが食すことが出来ないことが悔しいくらいでした。
これは癖になってしまいそうです。

そして特筆すべきはこちらの一品料理。
豚の軟骨を味噌で煮込んだものなのだそうですが、甘めの味噌の味付けで、豚の軟骨までこりこりと食べることができ、こちらも初めて食べた食材でした。
まさに隠れた名店、絶品の数々でした!(別に隠れてねぇよ、と大将に怒られそうですが(笑))
夜は助けてもらったライダーハウスたのもしさんに教えていただいた居酒屋さんへ。
もう暗くなった油津の町なかを傘をさしながら歩いてみて、油津の駅前、赤い灯篭が目印の居酒屋「おかめ亭」さんへ。

ちょうど祝い事のできた日でもあったので、奮発して宮崎の郷土料理を堪能させてもらいましょう。
もうそれは檀一雄の名著「美味放浪記」の檀さんになった気分です。
おかめ亭は民芸居酒屋の和風な佇まいで、ぼくはカウンター席に座りました。白い髭で紺色作務衣の大将がカウンターの前で宮崎の郷土料理や新鮮な魚などを料理してくれます。

まずはアジの刺身を。
九州特有の甘い刺身醤油で、このプリプリのアジがたまりません。宮崎は魚の美味さも抜群なんですな。

そして続いて地鶏のたたきを。
ぼくは生の鶏肉、初体験です。どんな味わいなのかワクワクしながら箸を伸ばします。ショウガやニンニク、ネギの薬味と一緒にこちらも九州の甘い醤油でいただきます。鶏肉独特の歯ごたえが楽しく、鳥の新鮮さが際立ちます。また薬味と醤油と鶏の旨みがそれはそれは素晴らしくうまいので、熊本の馬刺しにせよ、宮崎の鳥刺しにせよ、なにせ地元ではまずお目にかかることが食すことが出来ないことが悔しいくらいでした。
これは癖になってしまいそうです。

そして特筆すべきはこちらの一品料理。
豚の軟骨を味噌で煮込んだものなのだそうですが、甘めの味噌の味付けで、豚の軟骨までこりこりと食べることができ、こちらも初めて食べた食材でした。
まさに隠れた名店、絶品の数々でした!(別に隠れてねぇよ、と大将に怒られそうですが(笑))
荒れ模様の日南フェニックスロードは鬼の洗濯機|DAY4
2014.2.13 宮崎ー日南

小倉を出発した東九州旅、その4日目です。
ここまでの記事はこちら↓
静岡から北九州へ輪行、dipへ集合|プロローグ
初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1
どこか寂しい佐賀関~別府延岡激走150キロ|DAY2
クルスの海…願いが叶うという宮崎の十字海|DAY3

朝、まだ暗さの残る宮崎市を出発。
今日明日の天気予報は雨・・・昨夜のニュースでは昼過ぎには雨が降り出すと言っていましたので、午前中に出来る限り走り切りたいところです。
昨日、願いが叶うというクルスの海で「明日も天気になりますように」とお願いしたのですが・・・(;・∀・)
宮崎市より南側は注意していないと街がなくなってしまいますから、雨の中テントを張って野宿・・・という事態になりかねません。こんな時は常に天気の様子を見ながら、どこまで走るべきか「判断」を誤ってはいけませんな。
50kmほど南下すると「日南市」という街があります。その後は都井岬を周るかショートカットするかで距離が数十km変わってきますし、その場合、大きな町は鹿児島県に入ったあとの「志布志市」、あるいはかなり先になりますが「鹿屋市」辺りなら安く泊まれそうな場所がありそうです。そのあたりを「判断」していくことになります。
ただ、こーじさんに教えていただいた日南海岸のハイライト「国道448号線(都井岬へと向かう日南海岸ルート)」は晴れの日に走りぬきたいなぁという気持ちもあります。
なかなか難しいところ・・・

交通量が多くなる前に国道220号を南下して宮崎市街を抜けました。宮崎南バイパスという自動車道の側道は、自転車も走れるようになっており、画的にはヤシの木の整列した南国ムード満載なのですが、いかんせん冷たい風が強く、体感的には全然南国ではないわけです。雲行きもいかにも怪しい感じです。
ちょうど巨人軍が宮崎キャンプしているスタジアムの横を通過し、ちょっと迷子になりながらも地元の人に道を尋ねつつ、青島という場所まで来ることが出来ました。もうここからはとにかく海岸沿いを道なりに南下していけば日南市まで辿り着くことが出来るはずです!!
「よっしゃー!一気に走り抜けるぞ!」
カレーさんに差し入れていただいた“くろがね羊羹”に朝飯代わりにかじりついていざ日南海岸突入!!!
次の瞬間、突如、猛烈な雨が・・・!!
午後から降り出すという予報が、だいぶ巻いてきたようで午前中のうちになるべく遠くまで走るという僕のプランは早くも音を立てて崩れていきます・・・。なんてこった!

雨の堀切峠!!
2本のフェニックス(カナリーヤシ)が印象的。
鬼の洗濯板と呼ばれる、砂泥互層が波で浸食された波状岩地帯を望む絶景ポイントで有名な峠です。海はかなり荒れていますが、その迫力には圧倒されました。もしかしたら、晴れののどかな堀切峠のポカポカ風景よりもかなり珍しい風景に出会えたのかもしれません。これはめちゃくちゃラッキーー!!
と、ポジティブに考えていないと“やってらんない”ほど、雨が強く冷たい訳です(笑)

道の駅フェニックス前の展望所からの風景・・・。

怒号のごとき波の音が強烈で、波打ち際では波しぶきが白く舞い上がっています。
色彩のない、灰色と黒色と白色だけの風景が、ダイナミックなうねりをみせています。
ともすれば、飲み込まれてしまうんじゃないかと思うほどです。

カッパを着ていても、雨が染み込んできます。
とにかく先を目指して国道220号線、日南フェニックスロードを南下していきます。
指先の感覚から順々になくなっていきます。鼻水もとめどなく流れて来て顔は雨と汗でめちゃくちゃです。
もはや鬼の洗濯板というより、鬼の全自動洗濯機に放り込まれたような感覚とでも言いましょうか(笑;)

出来る限り遠くまで走りぬいてやろうなどという当初の意気込みはどこへやら・・・。もう完全に気負けして意気消沈。サンメッセ日南の有名なモアイ像など、到底見るような気にはなれず、とにかくロースピードでノロノロと南下していきました。
家がチラホラと見え始め、日南市がもうすぐ近いと思われるところまで来ました。
セブンイレブンで休憩してから、少し走るとどうやら日南の街、油津まで辿り着いたようです。朝から羊羹しか食べていなかったので、お腹はぺこぺこ。油津の入り口にあったファミレスJoyfullに飛び込みました。鳥天定食とドリンクバーを注文し、一目散に暖かいコーヒーで体を温めます。

雨は一層強くなり、暖かいファミレスの中にいるとますます走る気力がなくなっていきます。ここで止まるにしても、さてこれからどうすればいいのか・・・。
志布志や鹿屋までこの雨の中向かうのは、あまりにも絶望的状況です。
連日の100km超えは運動不足の体にはかなりキテいます。
参ったなぁ、どうしようかなぁ・・・
鳥天を突きながらツーリングマップルをぺらぺらめくっていると、今いる油津のページに
「たのもし」
というメモが書いてあるのに気が付きました。
「・・・そうだ!日南には一泊1500円のライダーハウスがあるんだった!!」
完全に忘れていました。出発の直前に予定ルート上のライダーハウスをチェックしていて、別府と鹿屋、そしてここ日南の3ヶ所をメモしておいたのでした。
僕はなぜか大慌てでライダーハウスたのもしさんに電話を入れました。
余りにも急な宿泊の電話にも関わらず、オーナーさんはとても親切に対応してくださり、泊めていただけることが決定!!「今外出中で2時間ほどしないと戻れなくて申し訳ない」とのことでしたが、そんなこと全く申し訳なくありません!もう泊めていただけることが決まっただけで、号泣ものなわけであります( ;∀;)そうです、ぼくにはドリンクバーという強い見方もいるのですから。
予定より1時間ほど早くオーナーさんが帰宅してきてくださり(買い物もせずに直行で戻ってきてくださったみたいです)、もう来てくだすって大丈夫ですよという連絡が入りました。僕が大変に恐縮しきっていると、「寒いでしょうから風呂も今沸かしていますから」と・・・。本当に地獄から神様に救っていただいた心地でした(;_;)

ライダーハウス元大仙旅館たのもし
広島カープのキャンプ地でもある日南市天福球場のほど近く、元々旅館の建物をそのままライダーハウスとして使っているようです。2匹のわんちゃんの熱烈な歓迎を受けたのち、温かいお風呂を頂きました( ;∀;)

しかも驚くべきことにお布団付きのお部屋(´゚д゚`)!!自転車も屋根の付いている場所に置かせていただけました。
助かったぁ・・・( ;∀;)
この時まだ午後の2時過ぎでしたが、ぼくは安心したのか疲れ果ててしまったのか泥のように眠り、気づいたら夜になっていました。
地獄のような鬼の洗濯機の中でめちゃくちゃにされた午前中からは一転。日南市のライダーハウスに助けられて以降、それはまるで天国に来てしまったような心地でした。そして、ちょっとこの日南という町に興味が沸いてもきていました。どうせ明日も雨予報なのでもう1日、ここに滞在してみようかなという気持ちになってきました。
飲み屋の大将に教えてもらった「飫肥(おび)」という城下町も気になります。明日、足を延ばしてみましょうかね。

小倉を出発した東九州旅、その4日目です。
ここまでの記事はこちら↓
静岡から北九州へ輪行、dipへ集合|プロローグ
初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1
どこか寂しい佐賀関~別府延岡激走150キロ|DAY2
クルスの海…願いが叶うという宮崎の十字海|DAY3

朝、まだ暗さの残る宮崎市を出発。
今日明日の天気予報は雨・・・昨夜のニュースでは昼過ぎには雨が降り出すと言っていましたので、午前中に出来る限り走り切りたいところです。
昨日、願いが叶うというクルスの海で「明日も天気になりますように」とお願いしたのですが・・・(;・∀・)
宮崎市より南側は注意していないと街がなくなってしまいますから、雨の中テントを張って野宿・・・という事態になりかねません。こんな時は常に天気の様子を見ながら、どこまで走るべきか「判断」を誤ってはいけませんな。
50kmほど南下すると「日南市」という街があります。その後は都井岬を周るかショートカットするかで距離が数十km変わってきますし、その場合、大きな町は鹿児島県に入ったあとの「志布志市」、あるいはかなり先になりますが「鹿屋市」辺りなら安く泊まれそうな場所がありそうです。そのあたりを「判断」していくことになります。
ただ、こーじさんに教えていただいた日南海岸のハイライト「国道448号線(都井岬へと向かう日南海岸ルート)」は晴れの日に走りぬきたいなぁという気持ちもあります。
なかなか難しいところ・・・

交通量が多くなる前に国道220号を南下して宮崎市街を抜けました。宮崎南バイパスという自動車道の側道は、自転車も走れるようになっており、画的にはヤシの木の整列した南国ムード満載なのですが、いかんせん冷たい風が強く、体感的には全然南国ではないわけです。雲行きもいかにも怪しい感じです。
ちょうど巨人軍が宮崎キャンプしているスタジアムの横を通過し、ちょっと迷子になりながらも地元の人に道を尋ねつつ、青島という場所まで来ることが出来ました。もうここからはとにかく海岸沿いを道なりに南下していけば日南市まで辿り着くことが出来るはずです!!
「よっしゃー!一気に走り抜けるぞ!」
カレーさんに差し入れていただいた“くろがね羊羹”に朝飯代わりにかじりついていざ日南海岸突入!!!
次の瞬間、突如、猛烈な雨が・・・!!
午後から降り出すという予報が、だいぶ巻いてきたようで午前中のうちになるべく遠くまで走るという僕のプランは早くも音を立てて崩れていきます・・・。なんてこった!

雨の堀切峠!!
2本のフェニックス(カナリーヤシ)が印象的。
鬼の洗濯板と呼ばれる、砂泥互層が波で浸食された波状岩地帯を望む絶景ポイントで有名な峠です。海はかなり荒れていますが、その迫力には圧倒されました。もしかしたら、晴れののどかな堀切峠のポカポカ風景よりもかなり珍しい風景に出会えたのかもしれません。これはめちゃくちゃラッキーー!!
と、ポジティブに考えていないと“やってらんない”ほど、雨が強く冷たい訳です(笑)

道の駅フェニックス前の展望所からの風景・・・。

怒号のごとき波の音が強烈で、波打ち際では波しぶきが白く舞い上がっています。
色彩のない、灰色と黒色と白色だけの風景が、ダイナミックなうねりをみせています。
ともすれば、飲み込まれてしまうんじゃないかと思うほどです。

カッパを着ていても、雨が染み込んできます。
とにかく先を目指して国道220号線、日南フェニックスロードを南下していきます。
指先の感覚から順々になくなっていきます。鼻水もとめどなく流れて来て顔は雨と汗でめちゃくちゃです。
もはや鬼の洗濯板というより、鬼の全自動洗濯機に放り込まれたような感覚とでも言いましょうか(笑;)

出来る限り遠くまで走りぬいてやろうなどという当初の意気込みはどこへやら・・・。もう完全に気負けして意気消沈。サンメッセ日南の有名なモアイ像など、到底見るような気にはなれず、とにかくロースピードでノロノロと南下していきました。
家がチラホラと見え始め、日南市がもうすぐ近いと思われるところまで来ました。
セブンイレブンで休憩してから、少し走るとどうやら日南の街、油津まで辿り着いたようです。朝から羊羹しか食べていなかったので、お腹はぺこぺこ。油津の入り口にあったファミレスJoyfullに飛び込みました。鳥天定食とドリンクバーを注文し、一目散に暖かいコーヒーで体を温めます。

雨は一層強くなり、暖かいファミレスの中にいるとますます走る気力がなくなっていきます。ここで止まるにしても、さてこれからどうすればいいのか・・・。
志布志や鹿屋までこの雨の中向かうのは、あまりにも絶望的状況です。
連日の100km超えは運動不足の体にはかなりキテいます。
参ったなぁ、どうしようかなぁ・・・
鳥天を突きながらツーリングマップルをぺらぺらめくっていると、今いる油津のページに
「たのもし」
というメモが書いてあるのに気が付きました。
「・・・そうだ!日南には一泊1500円のライダーハウスがあるんだった!!」
完全に忘れていました。出発の直前に予定ルート上のライダーハウスをチェックしていて、別府と鹿屋、そしてここ日南の3ヶ所をメモしておいたのでした。
僕はなぜか大慌てでライダーハウスたのもしさんに電話を入れました。
余りにも急な宿泊の電話にも関わらず、オーナーさんはとても親切に対応してくださり、泊めていただけることが決定!!「今外出中で2時間ほどしないと戻れなくて申し訳ない」とのことでしたが、そんなこと全く申し訳なくありません!もう泊めていただけることが決まっただけで、号泣ものなわけであります( ;∀;)そうです、ぼくにはドリンクバーという強い見方もいるのですから。
予定より1時間ほど早くオーナーさんが帰宅してきてくださり(買い物もせずに直行で戻ってきてくださったみたいです)、もう来てくだすって大丈夫ですよという連絡が入りました。僕が大変に恐縮しきっていると、「寒いでしょうから風呂も今沸かしていますから」と・・・。本当に地獄から神様に救っていただいた心地でした(;_;)

ライダーハウス元大仙旅館たのもし
広島カープのキャンプ地でもある日南市天福球場のほど近く、元々旅館の建物をそのままライダーハウスとして使っているようです。2匹のわんちゃんの熱烈な歓迎を受けたのち、温かいお風呂を頂きました( ;∀;)

しかも驚くべきことにお布団付きのお部屋(´゚д゚`)!!自転車も屋根の付いている場所に置かせていただけました。
助かったぁ・・・( ;∀;)
この時まだ午後の2時過ぎでしたが、ぼくは安心したのか疲れ果ててしまったのか泥のように眠り、気づいたら夜になっていました。
地獄のような鬼の洗濯機の中でめちゃくちゃにされた午前中からは一転。日南市のライダーハウスに助けられて以降、それはまるで天国に来てしまったような心地でした。そして、ちょっとこの日南という町に興味が沸いてもきていました。どうせ明日も雨予報なのでもう1日、ここに滞在してみようかなという気持ちになってきました。
飲み屋の大将に教えてもらった「飫肥(おび)」という城下町も気になります。明日、足を延ばしてみましょうかね。
クルスの海…願いが叶うという宮崎の十字海|DAY3
2014.2.12 延岡ー宮崎

小倉を出発した東九州旅、その3日目です。
ここまでの記事はこちら↓
静岡から北九州へ輪行、dipへ集合|プロローグ
初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1
どこか寂しい佐賀関~別府延岡激走150キロ|DAY2

待ちに待った晴れ予報!気温もそれほど下がらないという絶好のサイクリング日和がついに!!
実は宮崎県には初訪問、今回の旅で走るのを楽しみにしていた県であります。

早朝の宮崎県延岡市。
まだ町は目覚める直前といった感じで、クルマも歩いている人もまばら。気温が上がるとはいっても、この時間帯の空気はひんやり冷たく、足先や手先などはなかなか寒いと感じます。
まずは中心街のほど近くに位置する「延岡城」に登ってみることにしました。延岡城は江戸時代に高橋元種によって築かれたお城で、今は石垣が残るのみとなっています。立派な石垣です。

城内は誰もいなく、独特の空気感に包まれています。
北大手門に自転車を停め、歩いて階段を登ります。平野部にあるちいさな丘陵に城が築かれているため、ぐるっと階段で登っていかなくては本丸に辿り着かないのです。いわゆる「平山城」です。


延岡城の石垣は
「千人殺しの石垣」
という強烈なインパクトの異名があるそうで、下の石垣の一つをポンと外すと一気に石垣が崩れ、千人は殺せるシステムになっているとか・・・。うむむ。
さすがに千人は殺せないだろ・・・だけど、これが一気に崩れてきたらさすがに逃げられないなぁ・・・とか思いながら階段を登っていきます。
本丸に辿り着くとパッと視界が開け、まだ眠りから覚めたばかりの延岡の街並みの風景が目に飛び込んできました。

一本、真っ直ぐにシュッと延びる巨大な紅白煙突と、その周囲に立ち込める工場の煙が印象的な風景・・・
市街地の半分以上が工場なんじゃないかと思うくらいの「THE工業都市」で、その工場のほとんどは旭化成関連の工場だそうです。戦前、戦後あたりはもっと巨大な工業都市だったとか。犬の散歩に来ていたおっちゃんが教えてくれました。
しばらく延岡の朝焼けの風景に目を奪われていました。
延岡城を後にし、延岡市街の旭化成工場を横目に、街なかを走っていきました。
ちょうど出社ラッシュの時間らしく、次々と工場の中に人が入っていきます・・・。
延岡のいつもと変わらない一日の始まりを目の当たりにして、僕だけが非日常の全く違う世界にいるような気がしました。孤独というか、なにか寂しさのようなものを感じました。僕は旅をしているのです。

僕は逃げるように延岡の工業都市を抜け、国道10号線に再合流して日向市へと入っていきました。

今日、僕が目指そうとしていたのは「クルスの海」と呼ばれる場所。
海に十字架が浮かぶという何とも神聖っぽい場所らしいのです。クルスとはたぶんクロスの事でしょう。恋人岬的な「願いが叶う」とかいう後付けの触れ込みなどそんなのはどうでもいいのですが、ここからの景色はとても素晴らしいとのこと。奇岩地帯とかそういうのは大好物なので、ぜひ見てみたいものです!
クルスの海は「日向岬」にあるとのこと。
とりあえず日向岬を目指す事にしました。

日向岬へと向かう交差点に到着!!
青看板にもしっかり「願いが叶う」のフレーズが。ふーーん、ここを曲がればいいのですな。
曲がるとすぐに、巨大な化学工場地帯へと突入。化学工場特有のなかなかキツイ臭いがぷーーんと辺りに立ち込めています。巨大トラックも行き来しており、道路はこれでもかというほど広い幅です。
臭いぷーーんの工場地帯を通り抜けると、急に景色は静かな漁村の風景に・・・。

いやはや凄いギャップです。

おお!!これは!!!
「細島験潮場」発見であります!!!。
道端にちょこんと何気なしにある建物ですが・・・1892(明治25)年に設置された現存する最古の験潮場という大変貴重なものなのです。星マークは日本陸軍の徽章ですぞ。これも見逃せません。
あ、ちなみにこの験潮場は「現役」です。
100年以上海面の上下を測定し続けているのですな。
敬意を込めて一礼してからその場を去りました。

漁村を越えると、あるのは道と海のみ。

看板の指示に従い、日向岬の先端にある「馬ケ背」という場所へ向かいます。

南国ムードのアップダウンの続く道をひいこら登ると、駐車場に到着。

駐車場からは、歩いて岬へと向かうようです。
とても歓迎されています(笑)

緑のトンネルを歩いて、まずは細島灯台へ!!!

真っ白な灯台が、青い空に映えます。

灯台の展望所からは一面の海も。
灯台から更に岬の先端方向へ行くと例の「馬ケ背」という場所に!!
本当に馬の背中みたいに、道の両サイドが断崖絶壁になっている恐怖ポイントでした・・・。なんでも断崖絶壁は海面から70mほどの高さだとか・・・( ;∀;)

うひょーー・・・とんでもない断崖絶壁です。
写真では・・・なかなか・・・伝わりにくいかと・・・思いますが・・・高い。

ただ・・・素晴らしい柱状節理なのです。
「九州の東尋坊」の異名も持つとかで、なかなか見ごたえのある奇岩地帯であります。
柱状節理っちゅうのは、マグマが柱状に固まったもので、アツアツのマグマが均等に冷えて固まっていくとこのように人工的にも見える六角柱の柱が出来るのです。伊豆半島や兵庫の玄武洞、東尋坊などなど、柱状節理の名所は日本各地にありますが、ここもなかなかの規模の美しい節理でした。

更に先に進むと、海に飛び出した展望台が・・・。
これもなかなか怖い所にあります。
室蘭のチキウ岬同様、地球の丸さが実感できるとの触れ込みです。
海に飛び出した大パノラマの展望所なんですが、もちろん周りに遮るものが何もないので台風張りの強風が吹きすさんでいました。すっ飛ばされないように、ささっと先端まで行って写真を撮って、地球の丸さ?を体感して戻ってきました。(まあ、実際には展望台くらいの高さからじゃぁ、地球が丸いことによる水平線の曲がり具合なんて見ることが出来ないんですけどね(笑))飛行機に乗るか、宇宙空間に飛び出せば水平線は丸みを帯びてくることでしょう。
それと遠くに船が見えていますがどれくらい遠くにあの船は浮かんでいるんでしょう??
ちなみに計算してみたら、目の前に見えている水平線までの距離はせいぜい11kmほどなんですな~(岬の上に立った時の目の高さを10mとして計算)。意外に近くしか見えてないんですね。ニャ~。

駐車場に戻ってきました。
・・・それにしても観光客の姿は皆無・・・(;・∀・)居るのは野良猫くらいです。

南国チック。
南国チック。
南国チックなムードは満点なんですが、いかんせんアップダウンが辛いのです。ひいこら登ってはぐーーーんと下り、また登り・・・の繰り返し。正直、その瞬間は来なければ良かったと後悔しています。

なんとか、クルスの海の展望台に到着!!
鐘を鳴らせば願いが叶うとかそういうものでしょうかね。まったく、何の根拠があって・・・マヤカシもいいところですな・・・いやはや
カーーン、カーーン、カーーン。
(↑とりあえず鳴らしてみる)

「明日も晴れますように」
(↑とりあえずお願いもしてみる)

クルスの海!!
これで明日も晴れることが確約されましたな。ふふふ(´_ゝ`)

日向の道の駅で日向夏を買い、
旭日旗たなびく日本海軍発祥の地「美々津」の古い街並みの中を走り抜けます。




一路、宮崎市を目指して南下していきます。

旧リニアモーターカー実験線は太陽光発電所になっていました。


都農のキャベツ畑は収穫の真っ最中。

宮崎市街に近づくにつれ交通量や行き来する人が増え、走りにくさ増大であります。
大都会へ近づいているという気配が漂ってきます。


日が暮れる前に宮崎市街へ到着。
ヤシの木の街路樹が印象的です。

宮崎市ではサイクリスト&ジョガーのこーじさんにお会いすることが出来、宮崎名物の地鶏とチキン南蛮を頂きました。旅の話や宮崎の話、楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。日南海岸国道448号の景色がオススメと教えてももらいました。走るのが楽しみですな。

チキン南蛮っちゅうこのちょっと甘酸っぱい味付けとタルタルソースの組み合わせはなんとも絶妙ですな。これははまってしまいます。宮崎の肉の美味さは特筆すべきものが在ります。
さすが畜産王国、宮崎!!

延岡城に日向岬のクルスの海、美々津の街並み、都農の田園風景にリニアモーターカー実験線、そしてチキン南蛮。宮崎の見所が次から次へと繰り出され、大満足のサイクリングとなりました。
明日からはいよいよ日南海岸に突入。クルスの海でお願いしましたから、天気もさぞ良いことでしょう。日南海岸の絶景の数々が見られるはずであります。

小倉を出発した東九州旅、その3日目です。
ここまでの記事はこちら↓
静岡から北九州へ輪行、dipへ集合|プロローグ
初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1
どこか寂しい佐賀関~別府延岡激走150キロ|DAY2

待ちに待った晴れ予報!気温もそれほど下がらないという絶好のサイクリング日和がついに!!
実は宮崎県には初訪問、今回の旅で走るのを楽しみにしていた県であります。

早朝の宮崎県延岡市。
まだ町は目覚める直前といった感じで、クルマも歩いている人もまばら。気温が上がるとはいっても、この時間帯の空気はひんやり冷たく、足先や手先などはなかなか寒いと感じます。
まずは中心街のほど近くに位置する「延岡城」に登ってみることにしました。延岡城は江戸時代に高橋元種によって築かれたお城で、今は石垣が残るのみとなっています。立派な石垣です。

城内は誰もいなく、独特の空気感に包まれています。
北大手門に自転車を停め、歩いて階段を登ります。平野部にあるちいさな丘陵に城が築かれているため、ぐるっと階段で登っていかなくては本丸に辿り着かないのです。いわゆる「平山城」です。


延岡城の石垣は
「千人殺しの石垣」
という強烈なインパクトの異名があるそうで、下の石垣の一つをポンと外すと一気に石垣が崩れ、千人は殺せるシステムになっているとか・・・。うむむ。
さすがに千人は殺せないだろ・・・だけど、これが一気に崩れてきたらさすがに逃げられないなぁ・・・とか思いながら階段を登っていきます。
本丸に辿り着くとパッと視界が開け、まだ眠りから覚めたばかりの延岡の街並みの風景が目に飛び込んできました。

一本、真っ直ぐにシュッと延びる巨大な紅白煙突と、その周囲に立ち込める工場の煙が印象的な風景・・・
市街地の半分以上が工場なんじゃないかと思うくらいの「THE工業都市」で、その工場のほとんどは旭化成関連の工場だそうです。戦前、戦後あたりはもっと巨大な工業都市だったとか。犬の散歩に来ていたおっちゃんが教えてくれました。
しばらく延岡の朝焼けの風景に目を奪われていました。
延岡城を後にし、延岡市街の旭化成工場を横目に、街なかを走っていきました。
ちょうど出社ラッシュの時間らしく、次々と工場の中に人が入っていきます・・・。
延岡のいつもと変わらない一日の始まりを目の当たりにして、僕だけが非日常の全く違う世界にいるような気がしました。孤独というか、なにか寂しさのようなものを感じました。僕は旅をしているのです。

僕は逃げるように延岡の工業都市を抜け、国道10号線に再合流して日向市へと入っていきました。

今日、僕が目指そうとしていたのは「クルスの海」と呼ばれる場所。
海に十字架が浮かぶという何とも神聖っぽい場所らしいのです。クルスとはたぶんクロスの事でしょう。恋人岬的な「願いが叶う」とかいう後付けの触れ込みなどそんなのはどうでもいいのですが、ここからの景色はとても素晴らしいとのこと。奇岩地帯とかそういうのは大好物なので、ぜひ見てみたいものです!
クルスの海は「日向岬」にあるとのこと。
とりあえず日向岬を目指す事にしました。

日向岬へと向かう交差点に到着!!
青看板にもしっかり「願いが叶う」のフレーズが。ふーーん、ここを曲がればいいのですな。
曲がるとすぐに、巨大な化学工場地帯へと突入。化学工場特有のなかなかキツイ臭いがぷーーんと辺りに立ち込めています。巨大トラックも行き来しており、道路はこれでもかというほど広い幅です。
臭いぷーーんの工場地帯を通り抜けると、急に景色は静かな漁村の風景に・・・。

いやはや凄いギャップです。

おお!!これは!!!
「細島験潮場」発見であります!!!。
道端にちょこんと何気なしにある建物ですが・・・1892(明治25)年に設置された現存する最古の験潮場という大変貴重なものなのです。星マークは日本陸軍の徽章ですぞ。これも見逃せません。
あ、ちなみにこの験潮場は「現役」です。
100年以上海面の上下を測定し続けているのですな。
敬意を込めて一礼してからその場を去りました。

漁村を越えると、あるのは道と海のみ。

看板の指示に従い、日向岬の先端にある「馬ケ背」という場所へ向かいます。

南国ムードのアップダウンの続く道をひいこら登ると、駐車場に到着。

駐車場からは、歩いて岬へと向かうようです。
とても歓迎されています(笑)

緑のトンネルを歩いて、まずは細島灯台へ!!!

真っ白な灯台が、青い空に映えます。

灯台の展望所からは一面の海も。
灯台から更に岬の先端方向へ行くと例の「馬ケ背」という場所に!!
本当に馬の背中みたいに、道の両サイドが断崖絶壁になっている恐怖ポイントでした・・・。なんでも断崖絶壁は海面から70mほどの高さだとか・・・( ;∀;)

うひょーー・・・とんでもない断崖絶壁です。
写真では・・・なかなか・・・伝わりにくいかと・・・思いますが・・・高い。

ただ・・・素晴らしい柱状節理なのです。
「九州の東尋坊」の異名も持つとかで、なかなか見ごたえのある奇岩地帯であります。
柱状節理っちゅうのは、マグマが柱状に固まったもので、アツアツのマグマが均等に冷えて固まっていくとこのように人工的にも見える六角柱の柱が出来るのです。伊豆半島や兵庫の玄武洞、東尋坊などなど、柱状節理の名所は日本各地にありますが、ここもなかなかの規模の美しい節理でした。

更に先に進むと、海に飛び出した展望台が・・・。
これもなかなか怖い所にあります。
室蘭のチキウ岬同様、地球の丸さが実感できるとの触れ込みです。
海に飛び出した大パノラマの展望所なんですが、もちろん周りに遮るものが何もないので台風張りの強風が吹きすさんでいました。すっ飛ばされないように、ささっと先端まで行って写真を撮って、地球の丸さ?を体感して戻ってきました。(まあ、実際には展望台くらいの高さからじゃぁ、地球が丸いことによる水平線の曲がり具合なんて見ることが出来ないんですけどね(笑))飛行機に乗るか、宇宙空間に飛び出せば水平線は丸みを帯びてくることでしょう。
それと遠くに船が見えていますがどれくらい遠くにあの船は浮かんでいるんでしょう??
ちなみに計算してみたら、目の前に見えている水平線までの距離はせいぜい11kmほどなんですな~(岬の上に立った時の目の高さを10mとして計算)。意外に近くしか見えてないんですね。ニャ~。

駐車場に戻ってきました。
・・・それにしても観光客の姿は皆無・・・(;・∀・)居るのは野良猫くらいです。

南国チック。
南国チック。
南国チックなムードは満点なんですが、いかんせんアップダウンが辛いのです。ひいこら登ってはぐーーーんと下り、また登り・・・の繰り返し。正直、その瞬間は来なければ良かったと後悔しています。

なんとか、クルスの海の展望台に到着!!
鐘を鳴らせば願いが叶うとかそういうものでしょうかね。まったく、何の根拠があって・・・マヤカシもいいところですな・・・いやはや
カーーン、カーーン、カーーン。
(↑とりあえず鳴らしてみる)

「明日も晴れますように」
(↑とりあえずお願いもしてみる)

クルスの海!!
これで明日も晴れることが確約されましたな。ふふふ(´_ゝ`)

日向の道の駅で日向夏を買い、
旭日旗たなびく日本海軍発祥の地「美々津」の古い街並みの中を走り抜けます。




一路、宮崎市を目指して南下していきます。

旧リニアモーターカー実験線は太陽光発電所になっていました。


都農のキャベツ畑は収穫の真っ最中。

宮崎市街に近づくにつれ交通量や行き来する人が増え、走りにくさ増大であります。
大都会へ近づいているという気配が漂ってきます。


日が暮れる前に宮崎市街へ到着。
ヤシの木の街路樹が印象的です。

宮崎市ではサイクリスト&ジョガーのこーじさんにお会いすることが出来、宮崎名物の地鶏とチキン南蛮を頂きました。旅の話や宮崎の話、楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。日南海岸国道448号の景色がオススメと教えてももらいました。走るのが楽しみですな。

チキン南蛮っちゅうこのちょっと甘酸っぱい味付けとタルタルソースの組み合わせはなんとも絶妙ですな。これははまってしまいます。宮崎の肉の美味さは特筆すべきものが在ります。
さすが畜産王国、宮崎!!

延岡城に日向岬のクルスの海、美々津の街並み、都農の田園風景にリニアモーターカー実験線、そしてチキン南蛮。宮崎の見所が次から次へと繰り出され、大満足のサイクリングとなりました。
明日からはいよいよ日南海岸に突入。クルスの海でお願いしましたから、天気もさぞ良いことでしょう。日南海岸の絶景の数々が見られるはずであります。
どこか寂しい佐賀関~別府延岡激走150キロ|DAY2
2014.2.11 別府ー延岡

小倉を出発した東九州旅、その2日目です。
ここまでの記事はこちら↓
静岡から北九州へ輪行、dipへ集合|プロローグ
初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1

朝5時半ごろ起床。朝風呂に入ってから荷物をまとめて別府を出発。

夜のうちに雪が降ったのか、それとも昨日の昼間に降ったのか、別府のすぐ裏手の山は真っ白に化粧をしています。
オレンジ色の大分麦焼酎「二階堂」の看板が大分にいることを実感させます。
「一村一品大分県」というのは大分県の標語なんでしょうか、大分県に入ってからそこらじゅうでよく目にします。

西日本にはかなりの勢力を広げているファミレスの「ジョイフル」でモーニングを食べ、コーヒーで目を覚まします。ジョイフルは安い料金設定でお腹いっぱいになれる上、毎回もらえるドリンクバーチケットのお蔭で、低価格なドリンクバーでサイクリング途中の休憩にぴったりなのです。お腹もいっぱいになったところで、
さあ、別府湾を走る・・・

先の方向には大分市街が待ち構え、工場からは煙が上がっている・・・

振り返ると別府の町が僕を見送り、ところどころから温泉の湯気が上がっている・・・
別府から大分まではとても走りやすい海岸沿いの道路でした。早朝ランナーさんも何人か気持ちよさそうにジョギングしていて、僕を何度か追い抜いて行きました。ジョギングするには景色も良いし走り易そうな道です。
山側には日豊本線の電車が行き来し、静岡でいう所の由比あたりの雰囲気に似ているなぁと思ったりもしました。
シーサイドの道を抜けると、一気に都会の雰囲気、大分市街です。目を覚まし始めた大分市街は、完全に目を覚まして交通量が増える前に通り抜けたいところです。

都会は走りにくいですからね。
大分市からは国道10号を行けば、直接佐伯方面に抜けることが出来ますが、四国の佐田岬に九州で最も近づく佐賀関(さがのせき)に寄ってみることにしました。
単純に国道10号が面白くなさそうだったのと、臼杵(うすき)の町に寄ってみたかったというのがこの遠回りルート選択の理由です。一路、佐賀関に向けて東へ進路を取ります。しばらく行って大分市の市街地を抜けると、急激に交通量が減り、住宅地、そして海沿いの細くウネウネと曲がる道路に景色が変わっていきます。
走っているのは大分県大分市なのにこの道は「愛媛街道」で、目指すのが「佐賀関」と違う県名が付いているのは面白いですな。大分街道でもなければ、大分関でもないのですから。そんなことを思いながら、冷たい風の吹きすさぶシーサイドラインをひた走っていきます。

強い風のせいか、海は荒れ模様です。
ゴーゴーという風の音と波の音しかしません。

しばらく行くと小さな港町が出てきました。
大型船と赤と白の巨大な煙突のある工場が印象的です。

佐賀関の港町でした。
ここから更に国道を逸れて、岬の先端を目指します。

岬まではなかなかの山道で、アップダウンが続きます。

火葬場の横を抜けて、山を登りきると一気に視界が開け、眼下一面に海が広がります。クルマも滅多に来ることが無く、静寂に包まれています。晴れていれば、物凄い絶景であることは間違いありません。



ただ・・・曇りのせいか、この土地の持っている感情なのか、どこか寂しい雰囲気があたりに広がっていました。
冷たい風がほほをかすめていきます。
佐賀関の裏側は、急激に道幅が狭くなり・・・仕舞いにはガードレールすらなくなるスリル満点の道でした。
高い波が来ると道に思いっきりビシャーーンと来るわけであります。

まさに
「マジかよぉ・・・」
な道なのです。

街灯もないので、夜に来たら海にドボンは必至ですな。
こういう道がまだまだ残っている場所があるんですね。ある意味、ツーリングに貴重な道です。こんなにワクワクする道ってなかなか無いですから。

岬を一周して佐賀関の港町に戻ってきました。

関サバの産地といいますから食べずに通り過ぎるわけにはいきません。
「関の漁場」という漁協直営のお食事処で焼きサバ定食を頂きました。
2切れの焼きサバが出てきましたが、これがかなりの肉厚っぷり。一口ふくむと、サバの風味と旨み、そして関サバの特徴的な甘みが口いっぱいに広がります。なんて美味いサバなんでしょう!!正直、驚きました。醤油やかんきつをかけて食べるのも美味いんですが、やはり何も付けずに塩味だけの関サバがサバの味を楽しめる気がして一番素敵でした。

口の中に関サバの余韻を残しつつ、海岸沿いの道を進み、臼杵を目指します。

臼杵の町中に入り、川を渡ると醤油の匂いが立ち込めます。
醤油を作ってるフンドーキンが臼杵にはあるんですね。あの九州特有の甘い醤油、ぼくは大好きなのです。いつも九州に来たら必ず買って帰ります(笑)

とても雰囲気のある石畳の坂道を上ると、

武家屋敷やお寺の密集した地帯へと出ました。とっても素敵で古い街並みです。
臼杵はかつて城下町として栄えた町だそうで、道は物凄く入り組んでいて、方向感覚が分からなくなります。
しばらく臼杵の町並みを散策したのち、国道217号に復帰し、佐伯方面へと一つ峠越えをします。

峠の頂上にあった臼津トンネルは交通量こそ少ないものの、歩道もなくかなり怖いトンネルでした。

トンネルを抜けると、山の上は真っ白。
雨こそ降っていないものの、かなり厳しい寒さです。
この時期に旅に出たことをまたもや後悔し始めます。

蒼空が出始めたのが、せめてもの救いでしょうか・・・
津久見から佐伯までは、もう一つの峠越え。

佐伯の町を少し超えた地点で日没を迎えます・・・。
ここからは「宗太郎越え」と呼ばれる深い山中の峠越えとなります。
部分部分、街灯もない真っ暗な山道で、かなりの恐怖を覚えます。次の町、延岡まではまだかなりの距離があるようです。佐伯の町でストップしなかったことを後悔していました。なぜ、走り出してしまったのでしょう。
寒さで距離感とか思考能力とかがよく分からなくなっていたのかもしれません。
ただひたすらに、暗闇の山道を進んでいきます。
クルマもたまにしか通らず、心細い限りです。こんな所で死ぬのだけは御免ですな・・・。
もう気力も体力も限界に達し、もうだめだ・・・という所で、遠くに町明かりが見えてきました。
延岡の街です!
やった・・・!助かったぁ・・・。

なんとか、なんとか助かったみたいです。もうすぐ8時を回ります。またもやナイトライドになってしまいました。街もなければキャンプできそうな場所もないので、仕方がありませんでしたが・・・。
延岡の町には「チキン南蛮」や「延岡辛麺」、「あんかけ焼きそば」などなど魅力的な食が満載らしいのですが、なまった体にこの二日間の追い込みライドはかなり堪えたようで、指先まで溜まった疲労のせいで食べに出かける余力は残っていませんでした。
あとで測ってみたらこの日は150キロ以上も走っていたようです。

小倉を出発した東九州旅、その2日目です。
ここまでの記事はこちら↓
静岡から北九州へ輪行、dipへ集合|プロローグ
初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1

朝5時半ごろ起床。朝風呂に入ってから荷物をまとめて別府を出発。

夜のうちに雪が降ったのか、それとも昨日の昼間に降ったのか、別府のすぐ裏手の山は真っ白に化粧をしています。
オレンジ色の大分麦焼酎「二階堂」の看板が大分にいることを実感させます。
「一村一品大分県」というのは大分県の標語なんでしょうか、大分県に入ってからそこらじゅうでよく目にします。

西日本にはかなりの勢力を広げているファミレスの「ジョイフル」でモーニングを食べ、コーヒーで目を覚まします。ジョイフルは安い料金設定でお腹いっぱいになれる上、毎回もらえるドリンクバーチケットのお蔭で、低価格なドリンクバーでサイクリング途中の休憩にぴったりなのです。お腹もいっぱいになったところで、
さあ、別府湾を走る・・・

先の方向には大分市街が待ち構え、工場からは煙が上がっている・・・

振り返ると別府の町が僕を見送り、ところどころから温泉の湯気が上がっている・・・
別府から大分まではとても走りやすい海岸沿いの道路でした。早朝ランナーさんも何人か気持ちよさそうにジョギングしていて、僕を何度か追い抜いて行きました。ジョギングするには景色も良いし走り易そうな道です。
山側には日豊本線の電車が行き来し、静岡でいう所の由比あたりの雰囲気に似ているなぁと思ったりもしました。
シーサイドの道を抜けると、一気に都会の雰囲気、大分市街です。目を覚まし始めた大分市街は、完全に目を覚まして交通量が増える前に通り抜けたいところです。

都会は走りにくいですからね。
大分市からは国道10号を行けば、直接佐伯方面に抜けることが出来ますが、四国の佐田岬に九州で最も近づく佐賀関(さがのせき)に寄ってみることにしました。
単純に国道10号が面白くなさそうだったのと、臼杵(うすき)の町に寄ってみたかったというのがこの遠回りルート選択の理由です。一路、佐賀関に向けて東へ進路を取ります。しばらく行って大分市の市街地を抜けると、急激に交通量が減り、住宅地、そして海沿いの細くウネウネと曲がる道路に景色が変わっていきます。
走っているのは大分県大分市なのにこの道は「愛媛街道」で、目指すのが「佐賀関」と違う県名が付いているのは面白いですな。大分街道でもなければ、大分関でもないのですから。そんなことを思いながら、冷たい風の吹きすさぶシーサイドラインをひた走っていきます。

強い風のせいか、海は荒れ模様です。
ゴーゴーという風の音と波の音しかしません。

しばらく行くと小さな港町が出てきました。
大型船と赤と白の巨大な煙突のある工場が印象的です。

佐賀関の港町でした。
ここから更に国道を逸れて、岬の先端を目指します。

岬まではなかなかの山道で、アップダウンが続きます。

火葬場の横を抜けて、山を登りきると一気に視界が開け、眼下一面に海が広がります。クルマも滅多に来ることが無く、静寂に包まれています。晴れていれば、物凄い絶景であることは間違いありません。



ただ・・・曇りのせいか、この土地の持っている感情なのか、どこか寂しい雰囲気があたりに広がっていました。
冷たい風がほほをかすめていきます。
佐賀関の裏側は、急激に道幅が狭くなり・・・仕舞いにはガードレールすらなくなるスリル満点の道でした。
高い波が来ると道に思いっきりビシャーーンと来るわけであります。

まさに
「マジかよぉ・・・」
な道なのです。

街灯もないので、夜に来たら海にドボンは必至ですな。
こういう道がまだまだ残っている場所があるんですね。ある意味、ツーリングに貴重な道です。こんなにワクワクする道ってなかなか無いですから。

岬を一周して佐賀関の港町に戻ってきました。

関サバの産地といいますから食べずに通り過ぎるわけにはいきません。
「関の漁場」という漁協直営のお食事処で焼きサバ定食を頂きました。
2切れの焼きサバが出てきましたが、これがかなりの肉厚っぷり。一口ふくむと、サバの風味と旨み、そして関サバの特徴的な甘みが口いっぱいに広がります。なんて美味いサバなんでしょう!!正直、驚きました。醤油やかんきつをかけて食べるのも美味いんですが、やはり何も付けずに塩味だけの関サバがサバの味を楽しめる気がして一番素敵でした。

口の中に関サバの余韻を残しつつ、海岸沿いの道を進み、臼杵を目指します。

臼杵の町中に入り、川を渡ると醤油の匂いが立ち込めます。
醤油を作ってるフンドーキンが臼杵にはあるんですね。あの九州特有の甘い醤油、ぼくは大好きなのです。いつも九州に来たら必ず買って帰ります(笑)

とても雰囲気のある石畳の坂道を上ると、

武家屋敷やお寺の密集した地帯へと出ました。とっても素敵で古い街並みです。
臼杵はかつて城下町として栄えた町だそうで、道は物凄く入り組んでいて、方向感覚が分からなくなります。
しばらく臼杵の町並みを散策したのち、国道217号に復帰し、佐伯方面へと一つ峠越えをします。

峠の頂上にあった臼津トンネルは交通量こそ少ないものの、歩道もなくかなり怖いトンネルでした。

トンネルを抜けると、山の上は真っ白。
雨こそ降っていないものの、かなり厳しい寒さです。
この時期に旅に出たことをまたもや後悔し始めます。

蒼空が出始めたのが、せめてもの救いでしょうか・・・
津久見から佐伯までは、もう一つの峠越え。

佐伯の町を少し超えた地点で日没を迎えます・・・。
ここからは「宗太郎越え」と呼ばれる深い山中の峠越えとなります。
部分部分、街灯もない真っ暗な山道で、かなりの恐怖を覚えます。次の町、延岡まではまだかなりの距離があるようです。佐伯の町でストップしなかったことを後悔していました。なぜ、走り出してしまったのでしょう。
寒さで距離感とか思考能力とかがよく分からなくなっていたのかもしれません。
ただひたすらに、暗闇の山道を進んでいきます。
クルマもたまにしか通らず、心細い限りです。こんな所で死ぬのだけは御免ですな・・・。
もう気力も体力も限界に達し、もうだめだ・・・という所で、遠くに町明かりが見えてきました。
延岡の街です!
やった・・・!助かったぁ・・・。

なんとか、なんとか助かったみたいです。もうすぐ8時を回ります。またもやナイトライドになってしまいました。街もなければキャンプできそうな場所もないので、仕方がありませんでしたが・・・。
延岡の町には「チキン南蛮」や「延岡辛麺」、「あんかけ焼きそば」などなど魅力的な食が満載らしいのですが、なまった体にこの二日間の追い込みライドはかなり堪えたようで、指先まで溜まった疲労のせいで食べに出かける余力は残っていませんでした。
あとで測ってみたらこの日は150キロ以上も走っていたようです。
初日からの寒雨夜行便~小倉別府100キロ|DAY1
2014.2.10 小倉ー別府

小倉を出発した東九州旅、その初日です。
静岡を出発前の週間予報ではお天気マークが並んでいたのに、こっちに来た途端に一転して全部雨・・・
この日も、午後から雨の予報。

dipさんでモーニングを頂き、いざ別府に向けて出発です!!
目的地の別府までは100キロちょっとらしく、そんなにキツくはないとのこと。ただ、このところの運動不足と久々の長距離ライド、そして天気が気になるところです。

県道25号を東へと進み、国道10号へ合流。
まだ空は曇りで、雨は落ちてきていません。降り出す前にどこまで行けるかが初日のライドのキツさ具合のカギとなりそうです。

カレーさんに教えていただいた国道10号の旧道、日豊本線沿いの裏道でどんどん南下していきます。
下曽根、朽網、苅田、行事と横風の冷たい住宅街や田んぼ中を進みます。脚が快調に回るまではまだまだ時間がかかりそうですが、いよいよまた旅が始まったなぁって感じですな。
行橋に到着したとたんに、早くも雨が降り出します・・・。しかも国道10号が交通量が多くてなかなか走りにくい感じです。カッパを着てはいますが雨に濡れはじめると、急激に寒さに襲われはじめます。
寒い・・・
寒い・・・
早くも出発したことを後悔し始めていました。
道端の温度表示は外気温は3℃くらいを推移しています。

たまらず、豊前おこしかけの道の駅に避難しますが、もうすでに心が折れかけているわけであります。
屋根のあるベンチに腰掛け、dipのパンをかじり、自販機のコーンスープで体を温めます。
やはり食べ物をお腹に入れると、身体的にも精神的にもちょっと落ち着いた感じで、それまでの呆然としていたのがシャキッとすることができました。
「とにかく早く温泉に入りたい!!」
この一心で別府を目指す事にし、激しさを増した雨の中、再出発です。

日本縦断で日田に寄った以来の大分県入りです。
中津で唐揚げやら鳥天やらを食べたいという気持ちは出発前はかなりありましたが、もうこのようにぐしょ濡れでなんとか走り続ける精神力を維持している中では、もうどうでもよくなってしまいました。とにかく早く温泉へ・・・。
中津の市街地は通らずに、バイパスを通り抜け、宇佐へと向かいます。
この時点でかなり予定より遅れていて、そもそも別府まで行けるかどうか怪しい感じになってきました。ここ宇佐神宮も寄るといいとオススメされていましたが、止まってしまったらもう走り出せない気がして、宇佐神宮を横目にとにかく走り続けることにしました。

国東半島の入り口、豊後高田の町には「昭和の町」という魅力的な場所があるそうで、この交差点でずいぶん行くかどうしようか迷います・・・。
ただ国東半島に行ったら、一日かけて国東半島を進むことになります・・・しかも豊後高田には安い温泉宿があるかどうか知りません。別府には1000円ちょっとで泊まれる温泉はあることは教えてもらっています・・・。豊後高田に向かうことは諦め、とにかく別府へ別府へ。暗くなったとしても別府を目指そう!!

宇佐からは2つくらいの峠越え。
一つ目の峠を越えて地点で、陽が落ちて暗くなってしまいます。
片側一車線の細い道なのに、クルマは大渋滞!!どうやらバイパスが雪で通行止めになってしまい、こちらに一気に押しよせているようなのです。全く動く気配のないクルマの列を、大量の荷物を付けた自転車がごぼう抜きにしていきます。こういう時、自転車は便利なのですな。
この日、全国的に大雪で、関東地方ではとんでもないことになっていたようです。
勿論九州もその影響を受けて、ちょっと山の方に入ると凄い量の雪が降ったみたいなんですな。幸運にも、僕の走ったルートでは雪と出くわすことはありませんでした。やはりやまなみハイウェイのルートはどう考えても無しですな。
2つ目の峠を越えて、一気に下っていくと視界が一気開け、別府湾と別府の街の明かりが見えてきました。
時間はもう夜7時近く、早く温泉に入りたいところですが、まだ別府の町までは10キロ以上もある模様・・・見えてからがなかなか着かないもんなんですな。

街中に入ってからも、別府駅まではなかなか距離があり、やっとのことで別府タワーの場所まで来ました。

別府の町にこんな洒落たタワーがあるのは知りませんでした。アサヒビールの文字が光ります。

時刻はもう8時半。身体が完全に冷えきり早く温泉に浸かりたいのとお腹がぺこぺこでヘロヘロの状態です。
そして今晩のお宿、駅前高等温泉へ!!
ここもカレーさんに教えていただいた温泉で、低料金で宿泊することもできます。建物も大正チックでなかなか洒落ています。
個室も安いんですが、より安く宿泊できる「広間」をチョイス。大広間を使った相部屋プランです。暖房もついていて、しかも布団びきってのが嬉しいです。温泉にも何度も入ることが出来ますし、チェックイン後の外出も自由とのこと。駅前という立地も含めて素晴らしい温泉施設です。

とにかくチェックインして、温泉へドボン!!
さすが別府の温泉、身体の芯までしみわたります・・・(*´ω`*)ふへぇ

とりあえず、ラーメンをすすってから別府の町をぶらぶら歩いてみました。ただ、歩いてる途中で急激な眠気に襲われ、宿に戻ってとにかく眠ることにしました。朝風呂も入れると言います。ちょっと早起きして温泉に浸かるとしましょうか。
いつもそうですが、初日というのはきつくなることが多いのです。
多分、どれくらい行けるかの感覚が鈍っていることで無理な距離設定をしています所に原因があるのかもしれませんですが、今回の犯人は明らかに冷たい雨でした。
明日は佐賀関に寄ってみようと思います。

小倉を出発した東九州旅、その初日です。
静岡を出発前の週間予報ではお天気マークが並んでいたのに、こっちに来た途端に一転して全部雨・・・
この日も、午後から雨の予報。

dipさんでモーニングを頂き、いざ別府に向けて出発です!!
目的地の別府までは100キロちょっとらしく、そんなにキツくはないとのこと。ただ、このところの運動不足と久々の長距離ライド、そして天気が気になるところです。

県道25号を東へと進み、国道10号へ合流。
まだ空は曇りで、雨は落ちてきていません。降り出す前にどこまで行けるかが初日のライドのキツさ具合のカギとなりそうです。

カレーさんに教えていただいた国道10号の旧道、日豊本線沿いの裏道でどんどん南下していきます。
下曽根、朽網、苅田、行事と横風の冷たい住宅街や田んぼ中を進みます。脚が快調に回るまではまだまだ時間がかかりそうですが、いよいよまた旅が始まったなぁって感じですな。
行橋に到着したとたんに、早くも雨が降り出します・・・。しかも国道10号が交通量が多くてなかなか走りにくい感じです。カッパを着てはいますが雨に濡れはじめると、急激に寒さに襲われはじめます。
寒い・・・
寒い・・・
早くも出発したことを後悔し始めていました。
道端の温度表示は外気温は3℃くらいを推移しています。

たまらず、豊前おこしかけの道の駅に避難しますが、もうすでに心が折れかけているわけであります。
屋根のあるベンチに腰掛け、dipのパンをかじり、自販機のコーンスープで体を温めます。
やはり食べ物をお腹に入れると、身体的にも精神的にもちょっと落ち着いた感じで、それまでの呆然としていたのがシャキッとすることができました。
「とにかく早く温泉に入りたい!!」
この一心で別府を目指す事にし、激しさを増した雨の中、再出発です。

日本縦断で日田に寄った以来の大分県入りです。
中津で唐揚げやら鳥天やらを食べたいという気持ちは出発前はかなりありましたが、もうこのようにぐしょ濡れでなんとか走り続ける精神力を維持している中では、もうどうでもよくなってしまいました。とにかく早く温泉へ・・・。
中津の市街地は通らずに、バイパスを通り抜け、宇佐へと向かいます。
この時点でかなり予定より遅れていて、そもそも別府まで行けるかどうか怪しい感じになってきました。ここ宇佐神宮も寄るといいとオススメされていましたが、止まってしまったらもう走り出せない気がして、宇佐神宮を横目にとにかく走り続けることにしました。

国東半島の入り口、豊後高田の町には「昭和の町」という魅力的な場所があるそうで、この交差点でずいぶん行くかどうしようか迷います・・・。
ただ国東半島に行ったら、一日かけて国東半島を進むことになります・・・しかも豊後高田には安い温泉宿があるかどうか知りません。別府には1000円ちょっとで泊まれる温泉はあることは教えてもらっています・・・。豊後高田に向かうことは諦め、とにかく別府へ別府へ。暗くなったとしても別府を目指そう!!

宇佐からは2つくらいの峠越え。
一つ目の峠を越えて地点で、陽が落ちて暗くなってしまいます。
片側一車線の細い道なのに、クルマは大渋滞!!どうやらバイパスが雪で通行止めになってしまい、こちらに一気に押しよせているようなのです。全く動く気配のないクルマの列を、大量の荷物を付けた自転車がごぼう抜きにしていきます。こういう時、自転車は便利なのですな。
この日、全国的に大雪で、関東地方ではとんでもないことになっていたようです。
勿論九州もその影響を受けて、ちょっと山の方に入ると凄い量の雪が降ったみたいなんですな。幸運にも、僕の走ったルートでは雪と出くわすことはありませんでした。やはりやまなみハイウェイのルートはどう考えても無しですな。
2つ目の峠を越えて、一気に下っていくと視界が一気開け、別府湾と別府の街の明かりが見えてきました。
時間はもう夜7時近く、早く温泉に入りたいところですが、まだ別府の町までは10キロ以上もある模様・・・見えてからがなかなか着かないもんなんですな。

街中に入ってからも、別府駅まではなかなか距離があり、やっとのことで別府タワーの場所まで来ました。

別府の町にこんな洒落たタワーがあるのは知りませんでした。アサヒビールの文字が光ります。

時刻はもう8時半。身体が完全に冷えきり早く温泉に浸かりたいのとお腹がぺこぺこでヘロヘロの状態です。
そして今晩のお宿、駅前高等温泉へ!!
ここもカレーさんに教えていただいた温泉で、低料金で宿泊することもできます。建物も大正チックでなかなか洒落ています。
個室も安いんですが、より安く宿泊できる「広間」をチョイス。大広間を使った相部屋プランです。暖房もついていて、しかも布団びきってのが嬉しいです。温泉にも何度も入ることが出来ますし、チェックイン後の外出も自由とのこと。駅前という立地も含めて素晴らしい温泉施設です。

とにかくチェックインして、温泉へドボン!!
さすが別府の温泉、身体の芯までしみわたります・・・(*´ω`*)ふへぇ

とりあえず、ラーメンをすすってから別府の町をぶらぶら歩いてみました。ただ、歩いてる途中で急激な眠気に襲われ、宿に戻ってとにかく眠ることにしました。朝風呂も入れると言います。ちょっと早起きして温泉に浸かるとしましょうか。
いつもそうですが、初日というのはきつくなることが多いのです。
多分、どれくらい行けるかの感覚が鈍っていることで無理な距離設定をしています所に原因があるのかもしれませんですが、今回の犯人は明らかに冷たい雨でした。
明日は佐賀関に寄ってみようと思います。