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「銀輪記」~自転車旅行の記憶~

自転車旅路「大阿蘇」連載開始です



自転車旅路「大阿蘇」連載開始です。

午前中の仕事を終え、午後に今治から鈍行列車で八幡浜へ。八幡浜からフェリーで別府に渡り一泊。

やまなみハイウェイを走り別府から由布院を抜け、阿蘇へ。

翌日は南阿蘇を走り、翌最終日は大分県臼杵へ下りフェリーで八幡浜へ。


スケジュール

2015.8.5
今治~(電車)~八幡浜
八幡浜~(フェリー)~別府
別府泊

2015.8.6
別府~やまなみハイウェイ~阿蘇
阿蘇泊

2015.8.7
阿蘇~南阿蘇~阿蘇
阿蘇泊

2015.8.8
阿蘇~竹田~臼杵
臼杵~(フェリー)~八幡浜
八幡浜~(電車)~今治
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八幡浜別府行きフェリー乗り場|大阿蘇①


2015.8.5 今治~別府|大阿蘇①



閑散とした夜の八幡浜フェリー乗り場。



20:30発、別府行のフェリーに乗り込むために今治から八幡浜へ移動し、待合室で時間をつぶす。20~30年前から変わっていないのではないかという感じの待合室。待っているのは、僕を含め3人くらい。なんとも寂しげな雰囲気に、フェリーはもはや時代遅れなのかなと考えたりしていた。

そんな雰囲気には似つかない陽気な音楽が流れ、搭乗を促すアナウンスが流れる。

少しでもフェリー代を浮かすために、自転車は袋詰めして手荷物として客室に持ち込むつもりだったので、よいしょと自転車の入った袋を肩にかけて搭乗口に向かった。

すると、ひとりの男性に声をかけられた。

「あ~、あなたも自転車で日本一周?」

髪はぼさぼさに延び、日焼けし、よれよれの服を着たお爺さん。はにかむ笑顔になんとも愛嬌のある。

彼は自転車で日本中をぐるぐる回っているという。八幡浜でアルバイトを見つけ、2週間くらいお金をためている最中という。お金がたまったらこのフェリーで、九州を目指そうかと思っているらしい。

なんだ、おっちゃんは今日フェリーに乗るわけではないのか。ここで寝泊まりしているか、旅人との会話を楽しみにしているか、そんな理由で待合室にいたのだろう。僕は、こういうおっちゃんと話をするのが好きだし、おっちゃんも自転車旅人をみつけ話したいことが盛りだくさんな感じ……。再度、搭乗を促すアナウンスが流れたのを機に、握手をしておっちゃんとわかれた。

「またどこかで会いましょう」

旅人同士するお決まりの挨拶。そんなこと言っても、もう二度と会うことはないだろう……僕も旅を始めたころはそんなふうに思っていた。ただ、旅をしていると縁のある人とは何度も何度も道中で会う……本当にそんなことはよくあるから、お互いある意味本気で、また会いましょうと挨拶を交わしている。


浮いた自転車代はビール代にあて、スーパーマーケットで買った半額の弁当と半額のアジの南蛮漬けを客室で食べる。昨日は僕の誕生日。20代も後半に突入したものの、この貧乏旅スタイルは一向に進歩しない。



どうやら飲みながら眠っていたようで、起きたらもう別府に到着していた。また陽気なアナウンスが流れる。タラップを降り、自転車を組み立てる。別府の町は都会。



別府駅前の一泊1600円の簡易宿泊所付き温泉銭湯へと投宿。この時間からでもチェックインしてもらえるのも有難い。番台には建物の古さとは似つかないような若いお兄さんがいた。たしか、以前来た時もこのお兄さんだった気がする。風呂は24時までとのことだったので、温泉に入ることはなかば諦めていたのだが、まだいいですよ、ゆっくりしてくださいと入らせてもらえた。なんとも頭が下がる。

広間に10枚しかれた布団は、旅人ですでにいっぱい。

もう鼾をかきながら寝ている人もいた。浴衣が肌蹴てなんとも自由な感じになっている。横の人を選ばないと、寝ている間に脚が延びて来て鬱陶しい感じになる予感がするので、慎重に寝床確保をしたいところだったが、もう空いている所か限られている。

静かに布団を一枚確保し、さっと温泉に浸かってから布団へと戻った。

明日も早いのでもう寝ようとも思ったが、ふと別府の町を歩きたくなり、外出。コンビニエンスストアで買った思いがけず不味いチューハイを片手にぶらぶらと当てもなく歩いた。


ネオンの明かり。

大声で独り言を叫ぶ酔っ払い。

駅のアナウンス。


別府という町の様子も僕の旅のスタイルも、一つも変わっていない感じがした。

つづく

やまなみハイウェイ苦渋連山|大阿蘇②


2015.8.6 別府~やまなみハイウェイ~阿蘇|大阿蘇②



旅は早起きになる。

5時半。日の出と同時に起床、朝風呂ならぬ朝温泉を贅沢にキメる。湯気にメガネも曇る。今日は終始上り坂であることは分かっているから、朝の早い時間から出発して涼しいうちにある程度登っておきたいという思惑があった。目的地の阿蘇までは「やまなみハイウェイ」と呼ばれる山岳ルートを通ることにしていたのだ。



予想通り、別府の町中からすでに上り坂がスタート。



慣れないロードバイクという乗り物に多少苦戦しつつ、まだ目を覚ます前の別府の町を登っていく。そこら中から湯煙の上がる様子と所々でする温泉香は、ああ、温泉地に来ているなぁと実感させる。ローソンで補給食と朝食を買い込み、更に重くなった体とバックパックにうんざりしながらも、軽いギアでくるくる回していく。

町を抜けると、一気に山中の風景に。朝早く、多少は涼しいとは言うものの、上り坂ではあまり変わらないような気もする。汗が滝のように吹き出してくる。髪から垂れた汗がメガネに引っ付いては、立ち止まり、メガネを吹いては水を飲み、また汗をかき……というのを繰り返しながらロードバイクらしからぬスピードでノソノソと上がっていく。背中のバックパックの鬱陶しさからすでに「サイドバッグに荷物を入れられるランドナーでくれば良かったか」と後悔したりしてみる。たぶん、ランドナーで来たら来たで何かしら理由をつけて、「ロードバイクで来ればよかった」などと愚痴るのだろう。なんとも勝手なものであるが、そんなもんである。

城島高原を抜け、一つ、峠を越えると眼下に由布院の町が広がる。ここも温泉地。



阿蘇を彷彿とさせる草原の広がる「由布岳」と「鶴見岳」には息をのむ美しさがあった。

由布院の道の駅では、休憩がてら、今夜の宿をとることにした。どうやら阿蘇まで行けそうな気がする。阿蘇ならどこでも野宿できる気もする。でも行っておきたい宿があった。勉強にもなるだろう。阿蘇駅近くのゲストハウス「阿蘇び心」。言わずと知れた、日本トップクラスのゲストハウス。電話を掛ける。気持ちの良い対応。今夜の宿が楽しみ。





由布院からもずっと登り道が続き、視界が開けたと思ったら「長者原」。かねてから訪れてみたかった場所である。自転車を置いて、「タデ原湿原」を歩く。周りが山に囲まれ、この湿原が火山地形の扇状地に形成されたものであろうことが分かる。九重連山の山肌はなかなか迫力がある。



ちょうど腹も減ったので、道沿いのドライブインで昼食をとった。こういう何の変哲もないドライブインなど、僕は大好きである。



牧ノ戸峠を越えると一気に下り坂になり、阿蘇外輪山に向けて下っていく。見覚えのある風景に再び戻ってきた感覚がある。外輪山から阿蘇の町中へ降りてしまうと、また登ってくる気力はなくなるであろうから、せっかくなので大観峰やラピュタの道などにもよってみた。聞いてはいたが、やはりラピュタは残念な状態に。知られ過ぎた。今や大手旅行誌にも掲載され、クルマが溢れんばかりに駐車してある。全面通行止めなので、歩いてはいるのも禁止のハズだが、ずかずかと柵を乗り越える旅行者……。



まだあまり知られていない別の道で、外輪山を降りることにした。



内牧温泉に立ち寄り、町湯を堪能。町湯「大阿蘇」入浴料100円。まだ時間も早いこともあり独り占め状態。お湯はこれでもかというくらい、湯船から豪快にこぼれ落ちている。メガネが曇る。


阿蘇び心にチェックイン。夜は「お弁当のヒライ」で買ってきた惣菜で、同室の旅人と宴。

ここで、ふと気が付いた。

「いつもと同じだ」

ゲストハウスで働いているから、旅人同士の一期一会の宴が日常になっている。今までの旅はこういう出会いが非日常で新鮮だった。

今度は野宿をしようと思った。

箱石峠、南阿蘇、地獄行き~地獄温泉へ|大阿蘇③


2015.8.7 阿蘇



早朝。草原の景色。

ゴロゴロとした岩。

シュメール文字が残るという「押戸石」という場所に連れてきてもらった。説明してもらったシュメール文字とやらは、よく分からなかったが、外輪山に広がる草原の中心に立っているかのようで、その展望は素晴らしかった。

帰ってきて、自転車に乗り換え。もう1日、連泊することにしたので荷物は全て宿に置いて、身軽な状態で阿蘇をぐるっと回ることにした。


さて、どこに行くか・・・。
昨日買ったペットボトルのお茶が、もう空になっている。いつもならコンビニエンスストア、できればスーパーに行って安いのを買うところだが、「そう、ここは阿蘇」水がどこでも湧いている町。もっと安く水を手に入れる方法を。ということで、まず水をゲットできる場所として頭に浮かんだ「阿蘇神社」へと向かった。そこなら簡単に水が汲める。

まだ、人もまばらな阿蘇神社で参拝を済ませた後、参道にて大量に湧き出る水を頂戴した。これがまたひんやり冷たく、美味い。




どこに行くか、特には決めていなかったものの漠然と「南阿蘇」に行きたいと思っていたので、阿蘇神社方面に来たついでに「箱石峠」を登ることにした。ほとんどクルマ通りもなく、のんびりと峠を登っていく。数年前に土砂崩れ防止の工事中だった場所も、とっくに工事は終わっていた。砂防壁をつくる所は、道からはあまり見えない、ブラインドの場所に配慮されて設置されている気がした。「気がした」というのは、本当に考慮されているか怪しいものもあり、あくまで印象的にそう感じたという程度であるから。こういうのは旅行者の勝手な目線からすると、とても有難い。





南阿蘇へと降りてきた。さて、どこへ向かおうか。

「地獄温泉」・・・前に阿蘇へ来た時に、熊本のサイクリスト「ちょびさん」が教えてくれた温泉。どんな温泉だという話だったかは、うる覚えではあるものの(なんだか泥?の温泉と聞いていたような)、なんとなくその名前のインパクトから南阿蘇にあることは覚えていた。地図を見てみると、阿蘇の登り道の途中からも行けそうな道ある。

「南阿蘇の風景を、高いところから見たい。」以前感動した俵山からの南阿蘇の展望。その経験から、阿蘇に来たら高いところから南阿蘇の風景を見たいというのはあったので中岳への登り道を通るのもいいコースだと思った。
「よし、ここへ行こう。」
直接、地獄温泉へと続く道はより短く、そちらを走るのがセオリーとも思ったが、そんな理由でぐるっと回り込むことにした。



阿蘇山への登り道を登っていく。一度でも走ったことのある道というのは、走りやすいものである。思いのほか簡単に登っていくことができた。やはり、南阿蘇の景色には癒される。



北阿蘇の広大な田園風景ももちろん良いのだけれども、ぼくはこの南阿蘇の景色が好きだ。外輪山と阿蘇山との距離感なのか、地形的なモノなのか、より立体的に見える気がする。



ある程度登りきると、牛の闊歩する牧草地へと出る。この牧草地に、左へと折れる道があるはず。看板を発見。あまりに狭くガレた道で焦る。ロードバイク乗りの人なら、自転車をいたわってまず行かないような道だった。僕は、こういうのが大好きである。ただ、車種が間違っている。タロー号で来るべきである。何度も転びそうになりながら、降りて行った。進むにつれ、さらに難易度が増していく。確かに「地獄」への看板があるので、間違いはなさそうではあるが……。



本物の地獄へと落ちないように細心の注意を払って降りて行った。突然の温泉臭。地獄は近い。川も温泉になっていた。



さらに下るとすぐにそれらしい場所にたどり着いた。どうやら「清風荘」という旅館が、地獄温泉らしい。旅館の入り口で日帰り湯について尋ねると、旅館の方が詳しく説明をしてくれた。どうやら“離れ”で3か所に温泉があるらしく600円で全て入ることができるらしい。なかでも、有名なのは「スズメの湯」という混浴露天風呂らしいこともわかった。旅館の建物以外にもいくつも建物が乱立し、つげ義春の旅行記に出てくるような昔ながらの鄙びた湯治場。簡易宿泊所というか長期宿泊所のような建物もあった。使われているのかは、わからないが……。





まず、体を洗うスペースのある「内風呂」へと向かった。駐車場の車の量から推測するに、結構混雑しているのかと思いきや、扉を開けるとすっからかん。誰もいなかった。思いがけず、独り占めである。湯は白濁した酸性硫化水素泉という温泉らしい。浴槽の底には泥のように沈殿物がたまっている。


続いて、例の「スズメの湯」へと向かった。露天は田んぼのように区切られ、先ほどの内風呂よりも白濁しているように感じる。浴槽の底からもぼこぼこを湧き出し(こういう演出なのか?)地獄感がある。ただし、ここに来て見ると、先程内風呂がすっからかんだった理由がわかる。それは客の雰囲気からじんわり伝わってくる。かなり長時間、入浴していると思しき男性客が10人ほどいた。

建物や温泉の感じは歴史を感じさせるものであるのに、なんとも入浴しにくい雰囲気だったので、もう一か所ある男女別の露天風呂「露天岩風呂」へと移動することにした。予想通り、貸し切り状態であった。結局、内風呂と岩風呂で他の客と出会うことは無かった。

なんとものびのびと白濁した温泉を楽しむことができた。



風呂上がりのコーラは格別。五臓六腑に沁み渡る。

まさに極楽。

湧く水|大阿蘇④


2015.8.7 阿蘇つづき




地獄温泉を後にし、また南阿蘇へと戻ってきた。

ここからは特に行先を決めず、地図も見ず、感覚で。

走る。
















導かれるようにして辿り着いた水源。



なんだか満足してしまった。


宿泊先まで戻るのが嫌になってしまったが、仕方なし。

戻ることにした。

寝袋一つ持っておけば良かった。





湧く水。

阿蘇から臼杵まで85帰路|大阿蘇最終話


2015.8.8 阿蘇~竹田~臼杵・・・八幡浜・・・今治


突然、心配になった。

この日中に今治まで帰らなくてはいけない。阿蘇から85kmほど離れた大分県は臼杵(うすき)という町からフェリーに乗って八幡浜へ渡り、今治まで列車で帰る予定だった。今治までの列車の時刻を考えると、午後3時か4時には臼杵に到着していないと、今治までたどり着けないことが分かったのだ。

阿蘇から臼杵は下り基調なのは知っていたし、普通に出発して3時までに到着できない距離ではない。

しかし、途中で何かトラブルが起きたときは話が変わってくる。

臼杵まで大分市経由で電車も繋がってはいるが、予定したサイクリングコースは途中から線路沿いを離れる。自転車が走行不能になった場合に、どうすることもできない状況になる。相当な田舎を走ることになるから、バスも期待できない。

自分の心配性を呪う。間違いなく、この心配性は母親譲り。次から次へと懸念事項が出てくる。こうなってしまうと、もはや眠れなくなる。



朝、4時半。まだ薄暗い中、出発することにした。

また、阿蘇神社によって水をくむ。外輪山を登る。外輪山を登った後は、ほぼずっと下り基調だった。昨日は荷物を軽くして走っていたので楽だったが、また重くなった。サイドバッグで来ればよかったと思った。



心配していた通り、町がぽつぽつと現れるだけの田舎道だった。ただ、心配していたようなトラブルは起こることもなく、順調に下ってくることができた。

臼杵に到着したのがまだ午前中だった。思いのほか、早い到着。これも心配することもなかったのかもしれない。


少し、心に余裕が出てきて、「臼杵石仏」へと立ち寄った。







阿蘇の火山性の岩石に彫られた石仏は、風化しやすく人が手入れをしていないとすぐに崩壊してしまう。臼杵の石仏群はかつてはかなり崩壊が進み、消滅寸前までいったようだ。想いをもって守り続けている人がいるということが、ひしひしと伝わってくる石仏群だった。



臼杵港からフェリーに乗った。2時間ほどで到着するので、いまいち眠ることもできなかった。

行きしなに、夜のうちに到着した「八幡浜」という町。昼の明るい時間に到着し、ああ、こういう町だったのかと思った。やはり中央構造線のとおる町。山が切り立って迫っている。


列車の発車時刻まで、まだ時間があったので、町なかを散策することにした。



あまりに魅力のある外観に感動し、吸い込まれるように入っていった。内装も予想通りロマンあふれる感じ。素晴らしい。番台のお婆さんにいつからやっているのか聞いてみた。「ああ、もう100年近いね」簡単に言う。「この人に聞いた方が早い」と常連さんらしきお爺さんを指さす。このお爺さんは小さいころからこの「大正湯」に通っているらしい。お爺さんのお祖父さんの代から通っているという。今、僕はとんでもない銭湯にいるらしかった。

この銭湯に来るためだけに八幡浜を訪れるのもいいなと思った。


心配性から、発車時刻の30分以上前から駅で待機していた。

ワンマン列車で、予讃線の海側ルートを通った。車窓からの海の景色は素晴らしいものがあった。「下灘」という駅がある。今、様々なメディアで取り上げられて観光客も多い駅であることは知っていた。海に近いことと、夕景みえること、JRか何かのポスターに使われたことなどから注目されているようだった。確かに、この駅だけ観光客が大勢いた。写真を撮っている人も多い。ただ、実際に行ってみると僕にはこの駅の何がいいのか、よく理解できなかった。よっぽど、車窓の移り変わる景色の方が美しい気がしたし、このあたりならもっと美しい場所が山ほどあるとも思った。「話題の場所」というのは、実際に行ってみるとがっかりさせられることが多い。



この夏の自転車旅は、もうこれで充分と思った。

水源に出会えたから。

お爺さんと話せたから。


今治の旅に戻ってきた。
ようこそ、銀輪記へ

手にした一台の自転車は、思いがけず遠くへと私を連れていき、生活へと染み込み、ついに。

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