「銀輪記」 自転車旅の記憶!!
~ただただ遠くへ行きたい雨男とクマの旅路~
 
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まどろみ

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起きているはずなのに、朝に布団から出て夜に布団に入るまでまどろみから抜け出せないでいる。

「まどろみのような状態」とでも言った方が正確かもしれない。僕の周りで起きていることや周りの景色、そういったものが在るようで無い、あるいは見えていないだけなのかもしれないとも思う。明日が今日なのか、今日が明日なのかよく分からない。考えれば考えるほど、僕の中身は空虚であることに気付かされ、その空虚は無限に広がっていってしまっているようにさえ感じる。いつからこんな空虚が広がっていたのだろう。

ただ、この感覚は決して不快じゃなくある種の浮遊感みたいな快さがある。



同じくしてこのところ、今までのように当てもなく何の目的もなく自転車でフラフラするということから疎遠になっている。

決して自転車が嫌いになったわけでは無いし、好きじゃなくなったわけでもないのだが…。自転車で当てもなくフラフラするのは、周りの景色がゆっくり変わっていく様子であったり、風を感じることであったり、ちょっとした変化に季節の移ろいを感じることだったり、そういうことに楽しさを見出していた。

これは外への興味だったと言えるかもしれない。

僕が生きているこの瞬間に見えているものは、目の前の山であったり田畑であったり行きかう人の流れであったりするのだが、この瞬間には膨大の量の「外」が同時進行で動いていて、それらは僕には見えない。僕に見えるのはまさに目の前の景色で起きていることだけ。これがものすごく不思議なことのように思えた。そして、ぼくが動くことで、他の場所へ行くことで少しでもその盲目な外を感じられて、僕自身の世界が広がるような気がした。これが外への原動力だった。

それでは、漠然とした外への憧れ・興味が無くなってしまったのだろうか。いや、むしろ外への興味は以前よりも増しているようでもある。



自分の中にも膨大な量の「外」が広がっていることに気付いてしまったことが一つ大きな事だったのかもしれない。それは内と呼ばれる外側。外の世界を追い続けていた僕は、そのことによって僕自身の中に空虚を作ってしまっていたらしい。「外」は痛快で分かりやすく、刺激的で魅力にあふれたものであるから、僕自身のことになど見向きもしてこなかったのだ。

今、こうしてまどろみの中で空虚と対峙して途方に暮れている。内という外は、僕が今まで追ってきた外とは桁違いに難解で分からない。


ただこうして考えていくと一つの疑問にぶち当たる。本当に「外」は痛快で分かりやすく、刺激的で魅力にあふれたものだったのだろうか。僕の目にしていたものは、ほんの一面的なものだけで、分かったような気になっていただけではないのか。一面的な情報というのは時間の長さによるとすれば、1秒より1分、より一時間、一日、一週間、一か月…長くなれば長くなるほど分かる事なんだろうか。それは真か。ずっと見える場所にあったはずの内という外でさえ、何が分かっているというのか、何も分かってはいないじゃないか。


本当にわかっていることは、わからないということだけ…


いや、まさしくこの通りなのかもしれない。


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のんびり走るのが専門です.生まれつき方向音痴で雨男.愛車はMTBのTarow号とランドナーのJirow号.よく「モン太郎」を連れて旅しています.
2015年からしまなみに移住。

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